未亡人と部外者

義理が厚くなると重荷になる、というようなことが巷では実しやかに囁かれていてこれはどういうことかと言うと、そこまでの付き合いではないのに法事の類に香典やら弔慰金を持って来られるとそこまでの付き合いでもないのに相手方の法事には金持って行かねばならんというところと、過ぎた厚情(高額な香典等)を頂戴するとお返しが大変だということを言っている。

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恰幅の良い偉い人と確実に仲良くなれるヒミツの話題

日記を書くと抽選で金くれるっていうんで書きますけれども、そもそも広告主(だかGoogle)からの報酬はとりあえずはてなに入るっていうんならなんだかねずみ講みたいな話だなっておもってることを全部書いちゃうのはだめですよね?そうおもいませんか?もう書いちゃったけど。
とりあえずタイトルに嘘偽りがない鉄板のネタなのでいっぺん閉じてもったいぶります。

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無免許流へうげもの心得

聚楽第で採取した土を使い手捏ねで成形し加茂川の鉱石を砕いたものを釉薬として用いる焼き物が樂焼き(黒)と呼ばれるそうで、中国や韓国から渡ってきたピカピカの茶碗こそという時代にあって利休が侘び茶を表現するため長次郎という人に依頼して初めてそういった無骨な茶碗に価値がもたらされたらしい。どうしてそこまで価値が逆転してしまうのか利休の影響力はそれほどだったのかよくわからないけれども、とにかくすごいってことになったようで長次郎の跡目を継いだ二代目が豊臣秀吉から樂の印を下賜されて直系の樂家はそういった茶碗を代々作ってきたそうだ。同じ製法で茶碗を作っている傍系のような窯も何件かあってそのうちの一軒で樂焼き体験教室に参加するのが京都2日目の予定だった。
前夜に藪蚊の襲撃を受けほとんど寝てなくて刺されたところも痒いしなんだか小難しい茶碗を作るということで自暴自棄もいいところだった。その体験教室的な費用も決してお安くはなかったので今になってみればもったいないことをしたなと思うんだけど、まあとにかく寝てしまわないように終始どうでもいいことを独り言のようにつぶやきながら気の向くままに粘土を捏ね、綺麗にまとまったものをちょっと崩すと色気が出ると言ったのはリリー・フランキーだったっけ?なんて基本のキの字も知らないまま沓形に茶碗を歪ませた。中を削り取っていく工程に悪戦苦闘していると先生から「もうそこから先は私がやりますから」と不意にタオルを投げ込まれた。ひとまず型が出来上がったところで京都の旅が終了した。窯で焼かれて手元に送られてくるのは11月らしい。帰り道で同行者とあれこれ茶碗の話をしていたら「へうげもの読んでる?」と尋ねられた。まだ読んだことないと言ったらてっきりアレの影響かと思ったと言われたのだけど、先日読んでみてそう言われた理由に納得した。わかる、あんたの気持がわかるよ織部。たぶん。

へうげもの(1) (モーニング KC)

へうげもの(1) (モーニング KC)

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ひょう・げる〔ヘウげる〕【×剽げる】
[動ガ下一]ひょうきんなことを言ったりしたりする。おどける。

先生やっぱりあれですか、こんなもの・・・だめだだめだだめだー!ガッシャーン!てやるんですか?って尋ねたら、バラバラに壊したら片付けるのが面倒だから失敗しても投げつけたりはしないですねって真顔で答えられました。ここテストに出るからね。

たばこ日記

世間の声は聞こえないフリをして紙巻き煙草を始めた。

スターターキット的な必要なもの一式

まずは巻く機械を箱から取り出す

葉っぱを巻く機械に詰める

フィルターを入れる

ローラーを巻く位置にして仮巻きをする

紙を突っ込んで巻きこませる

紙の糊のついたところを舐めるなどして湿らす

全部巻きこむ

おはようございます

できあがり

特にオチとかないです。おわり。

無免許流茶器心得

兄のように慕っている人に誘われて京都の大徳寺というところにある聚光院という塔頭(たっちゅう)へ行ってきた。塔頭がなんなのか予備知識もなく一事が万事そんな調子だからたぶん貴重な体験をしたんだとおもうんだけどまるで実感がない。というのもそこは一般非公開だからなんだけど、そこになにがあったかといえば千利休の墓と、百積の庭(名勝)と狩野ナントカという偉い人が描いた襖(国宝)もあった。そういうのは全部wikipediaに書いてある。wikipediaに書いてないことといえば、利休の墓石はどこからか持ってきた石灯篭なので穴が開いていてその中で蝉が一匹死んでた。眼鏡の若い坊主に中を案内されて利休が腹を切った場所だっていわれてた(実際には違った)閑隠席という三畳の茶室を見た。そこへ連れてってくれるというので京都まで行ったようなものだった。何年か前に猛烈な便意を堪えながら見た待庵と比べたら閑隠席はつまらなかった。案内してくれた裏千家の先生やらその生徒さんたちは「濃密」だとか「緊張感」という言葉を口にしていたけれども、なんかそういうものは感じなかった。
聚光院を後にした一行は神社の脇にあるあぶり餅屋へ行って休憩した。そこにあった丸窓のほうがよっぽどおもしろかった。その後、茶道資料館というところへ行って陳列室で茶器を眺めたりした。真っ黒の地に真っ黒の牡丹の柄が描いてある棗が格好良かった。同行者たちはあまりそいつには関心がないようでもっと派手なやつに感嘆したり溜息を漏らしていたりした。ホールのようなところでお茶を頂いた。いつもおもうんだけど喉が焼けるほど甘い菓子を全部食べてしまってから抹茶を飲むという作法はどう考えてもおかしい。まるで白飯を全部食ってからみそ汁を一気に飲むようなものだ。あるいはセックスを済ませてからチューをするとか。そういった変なルールを押しつけておいて「おもてなしでござい」と言うのだから偏屈な世界だなあとおもう。
資料館を出たら樂美術館へ行った。樂焼という茶道具の説明はwikipediaにまかせる。とにかく目ん玉が飛び出るぐらいじゃおさまらなくてついでに鼓膜が破れて舌が抜けるような値段らしい。樂家初代長次郎作の黒い茶碗を見た。うーむ。いいといえばいいんだけど、これのどこが?といえばそんなようなものだ。織田信長が手柄を立てた武将にあげる土地が埋まってしまったから強引に茶器の価値を上げたとかいう話が本当だとしたら、この茶碗てなんなんだろう。人によっては二束三文かもしれないけれども全財産をなげうってでも手に入れたい場合もあるんだろう。そういう舞台に立つことが重要だって村上隆が言ってるから美術品としてはそういうことなんだろう。ぐるっと見て回ったところでPVのようなDVDを観た。これだけの歴史を背負う重圧を考えると当代の精神的なタフさっていうのは相当なもんだなとおもった。こんな家に生まれでもしたら胃袋が蜂の巣のように穴が開く。樂家は美術館の隣にあるので美術館を出たところで件の当代に出会った。見たところ別に怪物でもなく威張り散らした様子もなくふつうのおじさんだった。先生が恭しく頭を下げたときニコニコしながらペコっとした。
その後、町屋を改装した居酒屋に行って飯を食ってお茶の世界の人たちと別れて寿司を食って町屋を宿屋にしたというおばけ屋敷に泊って蚊に刺されまくって一睡もできずに初日が終了したというか終わらないまま二日目が始まったんだけどそれはまた。

OPPAI RIOT

世間一般に「おっぱい」というものは乳房の膨らみを指すもの、もしくは、母乳のことを指しているとおもうのだけど、ここでいう「おっぱい」というのは膨らみではなくて母乳的なナニカのことであって、そういう意味で言えば「母乳が出た」といったほうが伝わりやすいのかもしれないけれどおれは生物学上女性ではないという小難しい話はおいといても母ではないので母乳ではなく、そういう言葉を使うなら父乳(ふにゅう)みたいな感じに捉えるべきだとおもうのだけど、インターネットのクソキモい連中の中にはおれが自分の乳を揉みしだいた挙句「ふにゅーん」とかいうあえぎ声を洩らしたというようなことを想像する輩がいるのかもしれないので、そうじゃないと申し添えておく。とはいえピューっと間欠泉のように乳(液体のほう)が噴き出たわけではない。
あれはいつからだったか、おそらく2,3ヶ月前ぐらいから左の乳首がコリコリになった。「うふふ、オンナノコみたい」とか言われながら舐められたわけでも「ここすきなんだねー」とか言われながら乳輪をフェザータッチでさすられたわけでもないのにコリコリに勃起したままになった。四六時中いやらしい妄想に耽っていたらなんかそういうエロ思念みたいなものが左の乳首に宿ってコリコリ左大臣になってしまったのかもしれないとも考えたのだけど、そんな話は聞いたことがないし、じゃあ右の乳首は不感症なのか?右の乳首だって攻められたらちゃんとコリコリになるはずだろ?と思っていたところ、コリコリレフティの突端に白い塊があることに気付いた。よく見れば脂肪だった。いわゆる吹き出物的なナニカだ。
母乳の成分はくわしく知らないのだけど、脱脂粉乳とか乳脂肪というぐらいだからたぶんあれは脂なんだと思う。液体のラードだ。とかなんとかそれっぽい言葉で脂肪の塊と母乳的なナニカを結び付けるのがめんどうくさいので今日の笑点おひらき!帰れ帰れ!くずども!暑い!

ブルーバード

まあとにかく忙しいというか慌しい一日だった。あっちこっちへ電話をしたりメールをしたり高速道路を使って北へ南へ移動して、それでもなんだか打てそうな球ばっかり飛んでくるバッティングセンターのような人との関わり方で、どういうのかな、それだけでは脆く崩れてしまうような砂に水を少し混ぜてぺしぺしと周りを叩いて城を築くような、そんな一日だった。
夕方、携帯に着信があった。知り合いから仕事を頼みたいという連絡だったのだけど話がどうにも面白くない。おそらく必要充分なギャラは貰えるのだろうけど面白くない。だって、おれがゼニ出すって言ってんだからつべこべ言わずに黙ってやれというのだから面白いわけがない。自己満足の提灯持ちなんてクソ食らえだとタカ派のおれが吼える。けれども仕事を選べるほどたいしたもんでもないだろとハト派のおれが諌める。ギャラが合わなければその場で断ってるんだけどなと思いつつ請けるかどうか悩む。そうやって砂上の楼閣は音もなく崩れていく。
眠れなくて何度も寝がえりをうちながらこのギリギリしたものはなんなんだろうなとおもう。ご大層な自意識か。自己実現ってやつか。それとも美意識か。ダンディズムだとすれば顔色ひとつ変えずに迷わず金を獲るだろう。そのくせ歯車が噛み合わないのは何が挟まっているんだろう。それこそ自分の自己満足なんじゃないか。仕事をすることで人をいい気分に、ロマンチックな気分に、しあわせにしたいなら彼をしあわせにしてやるだけだ。金はくれるって言ってるのだから悩むことはないだろう。そういえばしあわせの青い鳥ってどんな話だっけ。チルチルとミチルの兄妹がパン屑こぼしながらお菓子の家を食べたり魔女に襲われたりしながら青い鳥をさんざん探してくたびれて家に帰ったら飼ってた鳥だったっていうマヌケな話だっけ。なんかマヌケなところが似てるなって肩の力が抜けてうとうとし始めた。
早朝、けたたましく鳴る携帯のアラームで飛び起きて呼び出された場所に向かう。おじさんとおばあさんと話をしながら作業。これだって、こういうおじさんやおばあさんをしあわせな気分にするためにやっていることだな、と頭の中が昨夜の続き。まあその仮定しているしあわせだって本人たちがそう思ってんのかどうかわからないのだけれど。帰り道、車に載せてあるiPodからキリンジのブルーバードが流れた。きっとしあわせの青い鳥ってのは昼間は空の青が保護色になって見えなくて、夜は暗くて見えないしそもそも鳥目だから飛んでないだろうし、太陽が昇る前の白い空や、オレンジ色の夕焼け空でしか飛んでるところは見えないんだろうなっておもった。