未亡人と部外者

義理が厚くなると重荷になる、というようなことが巷では実しやかに囁かれていてこれはどういうことかと言うと、そこまでの付き合いではないのに法事の類に香典やら弔慰金を持って来られるとそこまでの付き合いでもないのに相手方の法事には金持って行かねばならんというところと、過ぎた厚情(高額な香典等)を頂戴するとお返しが大変だということを言っている。
そんなわけで連休中に葬式に行ってきたのだけど故人とは生前にまるで付き合いがなくて、顔もまともに見たことがなかったし話もしたことがなかった。故人の兄が所属している団体におれも入っていて会員を代表してそこの会から出る弔慰金を届けに行くという具合で行ってきた。彼とて兄弟のだからといって葬式に出向くほどの付き合い方でもなかったので会から指示がなければ後日顔を合わせたときにでも少し話を聞く程度だっただろう。実際彼の父が今年亡くなっていたのだけれどそのときは何もしなかった。そして妙なことにというか喪主である故人の奥さんとは別のところで関わりがあって飲み会などでしばしば顔を合わせることがあった。ここではない場所から嫁いできてこちらの人間関係に辟易してるのだと飲み会の帰り道で突然泣き出したことがあったとき、えー、なんだこれ?っておもったのだけど、ああ、おれは彼女にとって部外者だからそういう話をしたのだなとおもった。インターネットの日記もそんなようなもので聴衆が部外者というか生活に直接関係のない連中だから実生活では口にしないことも割と書きやすいみたいなところがあるんじゃないかとおもう。ロバの耳と叫ばれる穴のようなものだ。
葬儀場では故人の学生時代の同級生とおぼしき人や会社関係の人や兄と付き合いのある人、奥さんの知り合いなどが中に入りきらないぐらい集まっていてエントランスポーチのところまで溢れかえって眉をひそめて話をしていた。直接的な悲しさみたいなものがなくどこか場違いなよそよそしさを首の後ろあたりに感じながらごった返す人をかき分けて受付で香典を渡して焼香の列の最後尾に加わった。焼香台の手前で一列に並ぶ故人の家族へ順に声を掛けながらじりじりと進む隊列の様子を後ろから眺めていてますます居所がないなあとおもった。親父と付き合いがあったまるっきり知らない人の葬式に行くこともあるのだけどそういう場合のほうが淡々と事務的に事を済ませられる。このときは中途半端というかなんだかなーみたいな感じの変な気分になった。列が進んでいよいよ故人の兄の前に来たら、お忙しいところすみませんと言われたので、きょうは個人じゃなくて会のアレで来たというような旨を告げてまた今度連絡するねと言って歩を進めた。列の後ろから視界の端でずっと泣いていてえづきながら弔問客に対応していた喪主を見ていたので、喪主の前に立っても痛々しすぎてかける言葉も思い浮かばなくて紋切り型のお悔やみを申し上げて深々と頭を下げた。頭を上げると直立不動のまま、ぎゅぅー、とべしょべしょに泣いていた。ぎゅぅーて!うわ、なにこれ、きっつ、ておもった。
たぶん前にも書いたことだけど、よく葬式で「力になれることがあったら言ってね」という台詞を聞くのだけど、こんな人をバカにした言葉はないとおもっている。目の前の人はすでに悲しみに打ちひしがれていて自立困難なぐらい膝がガクガクなのだ。悲しくて寂しくて困っているのをわからないわけでもないだろう。そういう人に対して頼ってもいいよ?とはどうなんだ?全て断らないのか?金貸してくれるのか?断るくせに。親父の葬式でそういう台詞を吐いた連中(同年代)とは距離を置いた。自分の立ち位置が言われなければわからない奴なんてのはいなくても困らないもんだ。悲しむ人を前にして自分が何ができるのかを言うしかないのだからべしょべしょに泣いてぎゅぅーと泣く彼女には、関係ないやつに話がしたくなったら連絡してよ話聞くだけだけど、と言った。慰めもしないし力にもならないけれどとりあえず全部肯定する。部外者は内情を知らないからとりあえず肯定するほかない。そうやって話をしているうちに自分で、あれ?なんか身勝手なこと言ってるな、って気付ければまたおれには用がなくなって一人で歩き始めるのだとおもう。困った顔で笑いながらそんな部外者の役回りが嫌いじゃないんだなっておもった。