無免許流茶器心得

兄のように慕っている人に誘われて京都の大徳寺というところにある聚光院という塔頭(たっちゅう)へ行ってきた。塔頭がなんなのか予備知識もなく一事が万事そんな調子だからたぶん貴重な体験をしたんだとおもうんだけどまるで実感がない。というのもそこは一般非公開だからなんだけど、そこになにがあったかといえば千利休の墓と、百積の庭(名勝)と狩野ナントカという偉い人が描いた襖(国宝)もあった。そういうのは全部wikipediaに書いてある。wikipediaに書いてないことといえば、利休の墓石はどこからか持ってきた石灯篭なので穴が開いていてその中で蝉が一匹死んでた。眼鏡の若い坊主に中を案内されて利休が腹を切った場所だっていわれてた(実際には違った)閑隠席という三畳の茶室を見た。そこへ連れてってくれるというので京都まで行ったようなものだった。何年か前に猛烈な便意を堪えながら見た待庵と比べたら閑隠席はつまらなかった。案内してくれた裏千家の先生やらその生徒さんたちは「濃密」だとか「緊張感」という言葉を口にしていたけれども、なんかそういうものは感じなかった。
聚光院を後にした一行は神社の脇にあるあぶり餅屋へ行って休憩した。そこにあった丸窓のほうがよっぽどおもしろかった。その後、茶道資料館というところへ行って陳列室で茶器を眺めたりした。真っ黒の地に真っ黒の牡丹の柄が描いてある棗が格好良かった。同行者たちはあまりそいつには関心がないようでもっと派手なやつに感嘆したり溜息を漏らしていたりした。ホールのようなところでお茶を頂いた。いつもおもうんだけど喉が焼けるほど甘い菓子を全部食べてしまってから抹茶を飲むという作法はどう考えてもおかしい。まるで白飯を全部食ってからみそ汁を一気に飲むようなものだ。あるいはセックスを済ませてからチューをするとか。そういった変なルールを押しつけておいて「おもてなしでござい」と言うのだから偏屈な世界だなあとおもう。
資料館を出たら樂美術館へ行った。樂焼という茶道具の説明はwikipediaにまかせる。とにかく目ん玉が飛び出るぐらいじゃおさまらなくてついでに鼓膜が破れて舌が抜けるような値段らしい。樂家初代長次郎作の黒い茶碗を見た。うーむ。いいといえばいいんだけど、これのどこが?といえばそんなようなものだ。織田信長が手柄を立てた武将にあげる土地が埋まってしまったから強引に茶器の価値を上げたとかいう話が本当だとしたら、この茶碗てなんなんだろう。人によっては二束三文かもしれないけれども全財産をなげうってでも手に入れたい場合もあるんだろう。そういう舞台に立つことが重要だって村上隆が言ってるから美術品としてはそういうことなんだろう。ぐるっと見て回ったところでPVのようなDVDを観た。これだけの歴史を背負う重圧を考えると当代の精神的なタフさっていうのは相当なもんだなとおもった。こんな家に生まれでもしたら胃袋が蜂の巣のように穴が開く。樂家は美術館の隣にあるので美術館を出たところで件の当代に出会った。見たところ別に怪物でもなく威張り散らした様子もなくふつうのおじさんだった。先生が恭しく頭を下げたときニコニコしながらペコっとした。
その後、町屋を改装した居酒屋に行って飯を食ってお茶の世界の人たちと別れて寿司を食って町屋を宿屋にしたというおばけ屋敷に泊って蚊に刺されまくって一睡もできずに初日が終了したというか終わらないまま二日目が始まったんだけどそれはまた。