なんとなくでよいのだ

なんとなく感じていることやぼんやりと見えてるもののうち、はっきりさせたいこととそうでもないものがあることがある。誰にだって曖昧なままのほうがいいということがあるはず。それは都合の悪いことを隠すためではなくて、ぼんやり滲んだままの感じが心地よいというようなこと。

建築は生きている―吉村順三建築のいま』というイベントで藤森(照信)さんの講演会があるんだけどと誘われて名古屋まで行ってきた。整理券の配布は正午からだけど10時ぐらいに行かないとたぶん貰えないだろうとのことだったので早めにこちらを出て10時半には撞木館に着いていたのだけどすでに先客がたくさんいて、藤森さんの人気っぷりがうかがえた。そこには吉村さんの設計された建物の図面や、家具なんかが展示してあったのだけど整理券の整理券が配布されるらしいと聞いていたので受付からあまり離れることができなかった。しばらく様子をうかがっていたら整理整理券を配布するというので券をもらって、受付を離れて庭の隅に建てられてる茶室をしげしげと覗きこんだりした。なにがどうだかわからないけれど茶室はカッコイイ。
撞木館から少し歩いたところにある川上貞奴という昔の女優さんの家を見て回ったりしてるうちに昼になったのでホンモノの整理券を受け取りに戻って、その後同行者の案内でお好み焼きを食べに行った。今年で82歳になるというおばあさんが営んでいるその店はまるで人んちの台所そのまんまで落ち着くとか落ち着かないとかそういうものを超越した空間だった。そんな店でえびせんに目玉焼きを乗せたやつとかお好み焼き(デラックス)を食べながらおばあさんの太平洋戦争体験記を聞いたりしてるうちに今が昭和なのか平成なのか自分がいったいいくつなのかよくわからなくなってきた。そこの店のトイレがまたすごいんだけど長くなるのでまたいずれ。
腹ごしらえを済ませたらようやく講演会の会場へ。整理券が入手困難だったことを物語るように会場はすでにほぼ満席だったのだけど同行者がその場を眺めて「藤森さんて教祖化してるよね」と言ったのが印象的だった。確かにみんなアイドルがステージに上がるのを待っているような顔をしてた。良し悪しではなくて、そういう熱狂を生むような魅力があるんだろう。いよいよ講演会が始まると藤森さんは「吉村センセイはわかりずらい」「あそこはどうしてああしたのかって聞いても『どことなく気持ちいいから』とか『なんとなく寂しかったから』て身も蓋もないこと言うし」といきなり愚痴をこぼした。その後いかにも建築史家らしくルーツから吉村建築について紐解いていくんだけど、藤森さんがTOTO通信で連載されていた原・現代住宅再見で軽井沢の山荘を取り上げていたときに書かれていた内容とさほど変わらない話だったのでなんていうか苦労したわりには・・・げふんげふん・・・という感じだった。あれが全てだったんだなと。

藤森照信の原・現代住宅再見

藤森照信の原・現代住宅再見

コンサルのおっさんが「セグメントしろ」と言う。銀行の融資係が「それを具体的なカタチに」と言う。建築を評論するセンセイが「なんとなくじゃ困る」って言う。それはそうしなきゃならない仕事の人が(言葉を金に代えられないから)困るわけで、僕らは案外『なんとなくキモチがいい』でいいんじゃないかって、それ以上突き詰める必要なんかどこにもないんじゃないかなとか思った。だって「なんとなくキモチがいい」と『感じられる』のはそれがいいことだと思うから。