無音

たぶん時間を止めたときに見える光景というのは、あんな感じなんだと思う。
いつごろからああいう感覚を持つようになったのかまるで自覚がないのだけれど、たまに音が消えるときがある。それは耳が聞こえなくなるのとは違って感覚を遮断して考え事に没頭するような感じの出来事で、音が消えている時間はたった1秒とか2秒なんだろうけど、見た目というかその瞬間に眺めている光景は奥行きが曖昧で、いろんなことが唐突に意味を無くしてこの世界の決まりごとをいろいろ無視している感じがする。そういう出来事が訪れる瞬間というのは決まって一人でいるときではなくて誰かの話を聞いているときで、思い返すと「人生のどうしようもなさ」みたいなことを感じたときなんだとおもう。はっきりとその静寂の時間がやってきたことを「あ、消える」と自覚できたのは、このまえ病院で先生の話を聞いていたときで、インフルエンザが流行ってお年寄りが亡くなってるとかそんなことを話してたら先生は「死んじゃう人はしょうがないよ、でも『死んじゃいけない人』が死にそうになるから慌てるんだよ」と言ったときだった。そう言ったときの先生はなんだかものすごく遠くを見ているような眼差しをしていてさっきの言葉を言ったあとで一呼吸置いて「うん」と頷いた。その瞬間シュワーっと炭酸飲料の炭酸が弾けるような感じで全ての音が消えて先生の横顔が銅版の版画みたいになった。いつもふざけたことやヤクザみたいなことばっかり言ってる先生の奥底にある(先生の)人生におけるどうしようもなさというか、言ってみれば宿命みたいなものを覗き見た瞬間だった。
本来こういう瞬間というのは自分自身と真正面から向き合ったときに訪れるものだと思うのだけど、残念ながら僕はそこまで自分のことを見つめていないらしい。他人の動かしがたい覚悟というかそういうものに触れなければ、そういう瞬間があるということに気付きもしなかっただろう。ちょっと恥ずかしくおもうけれども、そこまで生き方に対して腹を括ってる人が周りにいてそれを知れたということだけでも僕は恵まれているのかもしれない。おそらくガウディのコロニアグエイ地下礼拝堂やバラガンの自邸で彼らが欲した静寂さというのはこれなんじゃないかなとおもう。そしてまた、つい先日、死別したご主人の遺作に込められた「魂」について奥さんが話をしてる場面に同席していたときに無音の世界がやってきた。その帰り道で、もしかしたらあの瞬間ていうのは末那識とかそっち方面にも繋がっているかもしれないなとおもった。
スピリチュアルなこと言ってて自分で若干心配だけど壷や水晶を売買する予定はねえから。