おなら
「それではご親族を代表して喪主様がお線香をお願いします」と係りの人に促され、おじさんがおばあちゃんの棺の前に置かれた焼香台の上のロウソクの火に線香の先を当てようと屈んだ瞬間「ぶっ」と屁をした。世間には一定数の屁っこきというかなんの躊躇いもなく屁をする人たちがいて、歩きながらだったり大事な話しの最中だったり所構わずぶうぶうと屁をする。不思議とそういう人たちの屁は臭くなかったりもする。おじさんは親族の誰もが知る屁っこきであるのでいまさら驚くようなこともなく、まして、失敬だ!なんだと声を荒げるような人も誰一人としていなかった。みんな「ククク」とか「あはは」と場違いな間の抜けた屁の音にどこかほっとしているようだった。おじさん本人だって「ぶふふ」と笑っている。きっと棺桶の中のおばあちゃんだって笑ってたとおもう。人は生まれると誰しもが年を取り、まるで屁っこきがぶうっとやるように当たり前に死んでいくのだ。そんなに悲しむことはない、もう充分に生きたのだ。そんな餞別の屁だった。
というようにおばあちゃんの葬式はどちらかというと新しい門出というような感じであまり湿っぽくはならずにおわり、僕たちはいそいそと日常へ戻っていく。それでもやっぱり血の濃いところが亡くなるという出来事は自分のどこかが失われた感じがして、存在が稀薄というか身体が半透明になるような気分。それはバック・トゥ・ザ・フューチャーのアレの刷り込みかもしれないぶー。