KAGEROU

いつかの夜に連れていかれた、ビルの地下の洞窟のようなスナック。幅の狭い回り階段を降りて不思議な感じで入り組んだ廊下を抜けた先にその店はあった。店内にはやたら段差があってボックス席を仕切る煤けた白いパーテイションがまるでミコノス島の住宅群のようだった。名乗ってはなかったがフロアレディの大半がフィリピン人だった。天井の低いボックス席で会話にならぬやりとりをその外国人としていると着物を着た恰幅の良い中年女性がやってきて同行の年長者に恭しく挨拶をした。そしてこちらにも何某か言葉を掛けると一枚の名刺を差し出した。金が掛かっていそうな厚くて固い名刺には「蜻蛉」と印刷されていた。その店に行ったのはそれっきりで、しばらくするとその店の入っていたビルのあたりは再開発で更地になって新しいビルが建てられた。店は工事が始まる前に少し離れた場所に移転していた。新しいほうの店は木造の2階建てで階ごとに別の名前が付けられたスナックになった。蜻蛉は2階で営業していて、そこにも一度だけ行ったことがある。恰幅の良かったママは手術をしたとかでえらく痩せていた。そして隣に座るオンナのコはタイだかベトナムだかの女性で日本語がまるで話せなかった。それっきりその店のことは忘れていたのだけど先日閉店したと聞いた。そこで働いていた女性たちの何人かが知り合いの店で働きだしたのだそうだ。先週、件の知り合いの店に行く機会があり、カウンターでオンナのコも付けずに知人と話をしていたらカウンターの奥でグラスを洗う女性が先日まで蜻蛉で働いていたのだと聞いた。彼女の股間にはアンダーヘアがないらしくその代わりに『いらっしゃいませ』とひらがなでタトゥーが入っているそうだ。わけがわかんねえなと笑っていたら「まんこ見るか?」と言って彼女がスカートをたくし上げたので慌てて丁重にお断りした。これまで興が乗ったおっさんたちが薄暗がりの店内でライターを点けて彼女のメッセージを読み、陽炎のように揺れる炎の向こうで手招きする彼女自身の中へ何人も溺れていったそうだ。