生前レクイエム
あれから幾度となく目の前は通り過ぎていたけれど、駐車場に車を停めて見上げた桜色の外壁タイルが今日はなんだか懐かしく思えた。親父の顔を見に訪れていた頃から4,5年経っているのだけれど、あの壁を見てもいつの間にか感傷に浸ることもなくなったんだなと思った。ゆっくりと旋回する回転扉を抜けて待合ロビーに入ると病院の匂いがした。外来診療が終わったロビーを見回すとまばらに人が腰掛けていてその誰もがお年寄りだった。あなたたちは今日、生きてここから出られるのですね、よかったですねと思った。エレベーターホールでゆっくり上階から降りてくるエレベーターを待っていると、パジャマ姿の患者さんや看護婦さん、杖を突いた老夫婦が扉の前に集まってきた。一番最後に乗り込み操作パネルの前に立つ看護婦さんに「4階お願いします」と告げると扉が閉まり僕らを乗せた箱が宙に浮いた。
あの病院が全面改装される前、薄暗い洞窟のような階段を上って入院していたおばあちゃんを見舞いに行ったことがあった。自宅の駐車場で転んで尻餅をついたときに腰の骨が折れたということだった。病室に入ると「おうおう忙しいのにすまんねえ」とベッドに横たわりながらおばあちゃんは申し訳なさそうに笑った。もともと小柄だったおばあちゃんがもっと小さく見えた。命に関わるようなことではないということだったので安心して病室を出たのだけど、なんだかどんどん小さく萎んでいって最後には消えてしまいそうな気分になってしまって薄暗い洞窟を下りながらぽろぽろ涙がこぼれた。そして翌日、知り合いに頼んで喪服を作った。あれから10年間、おばあちゃんのために作った喪服は別の誰かのためにばかり着ることになった。
昨夜、脳梗塞で倒れたと知らせを聞いて様子を見に行ったら、おばあちゃんはミイラみたいになってた。呼吸器やらカテーテルなんやら管が何本か繋がれていて、歯のない萎れた口を開けてベッドで寝ていた。すごく小さかった。ヒョロヒョロだった。僕はおばあちゃんと一緒に住んだことはないのだけれど、遊びに行くとすごく可愛がってくれた。おばあちゃんは親父を身篭ったとき、戦時中で食うものがないからといって階段から飛び降りたりして流産させようとしてたそうだ。でも親父が死んだときには抜け殻みたいになって悲しんでた。同い年の従兄弟が死んだときも「どうしておれじゃないんだー」と神様を恨むほど悲しんでた。そんなおばあちゃんに、もう誰かを見送って悲しくて仕方ない気持ちにならなくて済むときが迫ってきた。横たわるおばあちゃんを眺めながらほんとうに長い間お疲れさまと思った。96年間もう充分生きたよと思った。
部屋を出る前、これでもう最後だろうなと思っておばあちゃんの肩のところを触ってみたら、まだ温かくて、骨と皮でゴツゴツしていたけれど、この人はまだ生きているんだなと思ったら、なんだかやっぱりかなしくなった。でもなんか、引き止めるのはやさしくないよなと思った。