歴史の未踏領域へ

藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築』が日曜日で終了してしまうと金曜日の夕方に知ったので朝食のパンを咥えて全力疾走で角を曲がって少女とぶつかる勢いでいってきた。

茅野市美術館の前庭に置かれた(吊られた)「空飛ぶ泥舟」というヘンテコな建造物を見た瞬間に『ヤラレタ!』と思った。多くの建築設計に携わる人たちみんなが誰でも一度はああやって地上から浮かせる建物(なぜか決まって卵型)を思い描いたことがあると思う。どういう記憶や法則でソレを思い描くのか知らないけれどもそういうモノを作りたがってた人を何人か知っている。僕が描いたものは天井と床が繋ぎ合わせた一枚の鋼板で壁は全て透明ガラス。その箱の中にオレンジ色に塗った球状の水廻りのユニットを置いて、橋梁に使うような四本の太い鉄骨柱の頂点からワイヤーで箱ごと宙吊りするというものだった*1。面接時に持参する図面として描いたのだけど事務所の所長さんに見せると「うーん」と困った顔をされたのを覚えている。
展示会場にはこれまで藤森さんが手掛けた建物の仕上げが原寸大というか現物として展示してあった。それのどれもが面倒臭いことになってる。表層に使われる自然素材の「下地」がそれだけで表層として成立するような性能を持ってるのだ。モダニズムの思想からすれば(言葉は悪いけれども)「まやかし」のようにも思える。壁に土を塗ったように見せるために土色のモルタルを塗って上に泥を塗ってあったり、屋根が石で葺いてあるように見せるために石の下に亜鉛メッキの鉄板が敷いてある。確かにあのやり方なら規格外の自然素材を表に出しても性能面では安心だ。近代建築でも二重構造やらハイブリッドの手法はよく見かけるけれど性能+性能という意味で二重になっている。サラファインの上にヒートッテックというような。けれども藤森さんの場合はファーコートの上にどてらを着てる。しかもそのどてらに命を懸けてる。

過去に少しでも似れば"やっぱりおまえは歴史家だナ"と言われるし、現在の誰を感じさせても"いろいろ言ってもつくらせりゃこれか"と、日頃書いている文まで軽く見られる。(中略)古今東西どこの誰の形にも似てはならないという形の四面楚歌のなかで、材料、それも現代建築ではあまり使われない自然材料に突破口を見出したのかもしれない。

それでも表層だけに拘るのならもうちょっとやり方が違うと思う。たぶん表層の奥は見えなくとも触れられなくともギッシリ詰まっている感じがないと気が済まないのだろう。自宅であるタンポポハウスの周辺に建っている郊外住宅を指して「ぺらぺら」と言っていたり、タンポポハウス以前に住まわれていたセキスイハイムM1も鉄板を張っただけの「ぺらぺら」だったりして、たぶんそういう「ぺらぺら」への反逆としてギッシリしている必要があるのだろう。しばらく前に藤森さんのデビュー作である神長官守矢資料館を見に行ったときにたまたま取材かなにかでご本人がいらっしゃっていて、少し話をして握手をしてもらったのだけど、藤森さんの手は野球のグローブみたいにブ厚くてギュギュウに詰まってる感じがしたのを思い出した。

*1:どうしてそうなってるのかを説明すると長くなるので割愛するけどモチーフはイクラ