てんきのはなし

お天気お姉さんならぬお天気お婆さんが近所に住んでいる。日向ぼっこをしているのかいつも家の外にいてぼんやりしていて、僕が通りがかると「今日は暑いねえ」とか「曇ってるから寒いねえ」と声を掛けてくる。僕といえばスタジオアルタのオーディエンスのように「そうですね」ぐらいしか返事をしないのだけど。天気の話というのは老若男女国籍も肌の色もブサイクも美人も貧乏も金持ちも学があろうがなかろうが万人の間でやりとりできる共通の話題だ。しかもとても平和だ。「今日は暑いねえ」と声を掛けたときにいきなり「I'm fuck'n cold! Kiss My ASS!」なんつって戦争が始まったりはしない。そうなるとしたら別の原因があるはずだ。

先週末、お世話になった方の葬式に行ってきた。ここよりもちょっと山間の地域の方なので近隣に葬祭会館のようなところはなく、自宅というか営んでいるお店を使っての葬儀だった。弔問客はざっと見積もっても300人を超えていて当然店の中に入りきらないので、ほとんどの人が野天の駐車場に立ってお経を聞いたりした。一通り済んでぼさっと煙草を吸っていると知り合いの方がやってきて「いいお葬式だったわねえ、これだけ晴れるんだから人徳よ」というようなことを言っていた。そのときが快晴であったのは故人のために神様だか仏様が気遣ってくれた、と考えるのはちょっとした違和感があったから「それにしてもいい天気ですねえ」と返事をした。
4年前、親父の遺体を通夜までのあいだ座敷に寝かせておいとき、生前、親父が最も懇意にしていた方が訪ねてきてくれたら不思議なことが起きた。その人が座敷で親父と対面するとうっすら涙を浮かべて少しの間眺めていたんだけど辛抱たまらんという感じで立ち上がった。お茶を飲んでいってくださいと言うと「いや、いい」と言って逃げるように玄関に行って出て行こうとしたのだけど、玄関のドアを開けた瞬間にスコールのように激しく雨が降ってきた。それまで青空が見えて晴れていたのに。「もうちょっといて欲しいんだと思います」と言うと観念したように頷いてまた靴を脱いで上がっていってくれた。それでも居辛いのか一杯目のお茶をさっさと飲み干して帰ろうとすると窓の外からザーッと聞こえてきた。僕らは笑いながら「大好きだったんですよ」「ああ、うん」なんてやりとりをしてお茶のおかわりを飲んでもらった。その後また晴れた。

天気の移り変わりみたいなものは、死んでしまった人たちが天国だか極楽だか知らないけれど雲の上でちょっとしたチカラみたいなものを得ていじってるんだと思う。たぶん。