マニラ・サンライズ

すっかり陽も傾き窓の外は明かりの灯り始めた街が夜が来るのを待っているように見える。ベッドに腰掛けてギターの弦を張替えながら、クローゼットの前に置かれた姿見越しに彼女の様子を見るとすっかり支度は済ませていたが、虚ろな眼差しで所在なさげにドレスの襟を触っている。どうしたんだ?と声を掛けると、肩を震わせながら顔を背けてしまった。なぜ泣くのかと問うと、あなたはいい気なものね、と泣きながらそうつぶやいた。ギターを脇に置いて彼女に近づこうと立ち上がると、来ないで!と叫んでその場に崩れるように座り込んでしまった。一体なにがどうなっているのかわからないまま彼女の傍へ行きしゃがみこむと、不意に体を反転させて勢いよく抱きついてきたのでそのまま仰向けに倒れた。そして馬乗りになった彼女に頬を2回強く打たれた。3回目の手を振り下ろしたときに両手首を捕まえると今度は彼女の両目から大粒の涙が俺の頬をポタンポタンと何度も叩いた。どうしたのか言ってくれないとわからないじゃないか、努めて紳士的に問うとギリギリと強張っていた彼女の腕から力が抜け、大声で泣きながら覆い被さってきた。しばらくそのままの格好で落ち着くまで待った。

ひとしきり泣いて抜け殻のようになった彼女をベッドに座らせミルクを沸かして飲ませた。それで何があったんだ?と聞くと、劇場の支配人ナバーロとその娘アマンダが画策して俺と彼女を別れさせようとしているらしい。そんなことをしてなんになるんだと驚いた俺に、あなたはナバーロのお気に入りでもあるけれどアマンダにとってもお気に入りなのよ、と彼女は言った。そしてナバーロたちの計画に誘われたセルヒオという半分ヤクザのような男に私が淫売だと吹聴されているのだと言いまた涙を流した。なぜそこまでする必要があるんだ!と湧き上がる衝動を抑えきれずに語気を強めると、ナバーロの狙いは俺が連れてきたトケ(G)たちのギャランティを抑えるためだという。トケたちの中には気鋭のガルシアがいる。彼の奏でるフラメンコギターの調べは情熱と退廃が混在していて、どんな劇場でも客を呼べるからギャラも割と高額だ。だからといってそんな回りくどいやり方をしても意味がないだろう。何を考えているのかを察したように、あなたさえ手懐けられればガルシアは他所の劇場に奪われずにギャラの交渉ができるのよと彼女は言う。その言葉を聞いて不思議そうな顔をすると、あなたって本当に何も気づいてないのね、と哀しい顔で笑った。そして、ガルシアもあなたがお気に入りなのよと言った。

あまりに突飛な話に言葉を失ったまま、再び涙が溜まり始めた彼女の大きな目を見つめていた。なんと声を掛けていいのかわからなかった。いや、わかっていて黙っていた。全て俺が仕組んだのだから。何も知らない可哀相な女。もういい加減こいつと暮らすのも飽きてしまったから、セルヒオと組んで別れるように仕向けたのだ。ただし、こいつからアディオスと告げられなければ意味がない。なにしろ貯め込んでいた金は俺が全て使ってしまったのだから。ガルシアもすぐに破滅するだろう。あいつが俺に懐いているのはセルヒオから紹介されたゲレーロという男のおかげだ。ゲレーロはケツの穴とクスリを使ってガルシアを俺の犬にした。ナバーロには俺を拾ってくれた恩はあるが娘への溺愛が過ぎて、このままじゃあの女のワガママのために全てを失ってしまうだろう。その前にこの女とガルシアが抜けてしまえば劇場も長くはもたないだろう。アマンダだって要らない。あの人を見下したような高慢ちきな態度が許されるのはナバーロが支配人だからだ。俺が支配人になれば叩き出してやる。そして全てを売り払ってどこか遠い島国で遊んで暮らす。心の中で呪詛を唱えながらベッドに腰掛け俯いたままでいると、彼女が立ち上がり、こんなの耐えられない、さようなら、と言って部屋から出て行った。

マニラに来て半年になる。憧れていた南国暮らしもこんなもんかと思うようになってきた。向こうで作ってきた金のおかげでのんびりできるのはいいのだが、不自由がないというのもなんだかつまらないものだ。また別のところで暮すことにしようかなどとこのところ考えている。窓から昇り始めた太陽の白い光が射し込んできた。突然部屋のドアが蹴破られ二人の人間が入ってきた。女だ。一人はアマンダ、もう一人は彼女だ。彼女の手には大きなナイフが握られている。ヘッドボードにもたれたまま身動きできずに朝陽を受けて光り輝くその銀色の刃を見つめていた。ドスっと音がして刃物は俺の左胸に突き刺さった。アマンダはあの高慢な笑みを浮かべて腕組みをしている。彼女はナイフの柄から手を離すと俺の頬を撫でた。優しく。妖艶なその手の動きはまるでフラメンコのブラッソのようだ。強い太陽の光が黒い闇に溶けてゆく。

マニラ・サンライズというフィリピン料理店があった(行ったことない)ので作り話を書いてみたら全体的によくわからなくなったのでよくわかりません。