君はいつか光の速さを超えるのだ

初めて自分の自転車を手に入れたのはたぶん小学校に入学する前の頃で、それは従兄弟のお下がりだった。ライトが2つ付いている70年代の終わりから80年代初頭に流行っていた格好をした20インチぐらいのタイヤの、当時、周りのオトモダチたちが買ってもらって乗っていた自転車より一回り大きなものだった。そいつの後輪の両脇に補助輪を取り付けて荒い舗装のアスファルトの上をガラガラと耳障りな音を立てて乗っていた。車体のあちこちを巡るなにかの部品を取り付けるための細いパイプに施された銀色のメッキがところどころ剥げて赤茶色した錆が浮いていて、なんだかでっかいし煩いしみすぼらしいし、次第にそれに跨るのが嫌になっていったのを覚えている。僕が自転車に跨らないあいだもみんなは乗り続けそのうち補助輪を外してすいすいと走れるようになっていったから、どこかへ自転車に乗って遊びに出掛けるときなんかはみんなの後ろをガラガラと音を立てて追い掛けることになって、ますます自転車に乗るのが嫌になっていった。新しい自転車を買ってくれと親に懇願してみたけれど「アレがあるじゃないか」と断られ錆びの回った自転車と母が乗るオレンジ色のラッタッタが並んで停めてある玄関ポーチの風景はしばらく変わることがなかった。やがて母が小さな事故を起こしてラッタッタは処分され、あの忌々しい自転車だけが誰にも使われることなく一台だけ佇むようになった。鍵の調子が悪いというような理由で玄関の建具が引き戸から開き戸に付け替えられる頃には出入りに邪魔だと雨曝しの位置へ追いやられ、埃を被り錆びが進み蜘蛛の巣だらけになっていく姿を見るたびにちくちくと胸の奥が疼くのだった。ある日、父が黄緑色の小さめの自転車を家に持って帰ってきた。ゴルフコンペの賞品だった。取り立てて格好良いわけでもないその黄緑色した自転車がやけに輝いて見えた。もちろん補助輪など付いてなかった。

補助輪を外して乗る練習をした。最初は腰のあたりを掴んでバランスを取れるように練習した。ちょっとでも手の力を抜くとすぐ倒れそうになって、なかなか手を離すところまでは辿り着けなかったけれど、諦めずに何度もやっているうちにふた漕ぎぐらいできるようになった。そのあとでサドルを後ろから支えるやり方に変えてみた。支えている手の力を緩めても走れるようになっていった。そして支えているふりをして漕げ!漕げ!と後ろから追いかけていったらそのまま真っ直ぐ走れるようになった。力がないのか最初のひと漕ぎがなかなかできないままだけれど一度走り始めたらふらふらとハンドルを切りながら曲がったりもできるようになった。バランスを取るために神妙な顔をしたり今までに体感したことのないスピードに目を見開くような顔をしたり達成感に喜びを感じるような顔をしたり顔色を目まぐるしく変えながら自転車を漕ぎ続けた。そんなふうにして床を這うスピード以上の景色の流れ方を知らなかった時があり、自力で立ち上がると歩いたり走ったりするスピードを知り、そして自転車のスピードを手に入れることになった。やがてバイクや自動車に乗ったり新幹線や飛行機に乗って数字で表せる様々なスピードを知ることになるのだろう。そうして気付くのだ。想像は光の速さを超えるのだということを。予見可能な未来なんて助手席からの眺めでしかないんだよ。自分自身でゆくのだ。