流転カタストロフィー
カオス理論っていうのを調べてたらそれこそ混沌としててわかんなかったぜ。
三十を過ぎたあたりからなかなか人に叱ってもらう場面というのはなくなるのだけれども、主に会社のやり方について常々ばかやろうと言ってくれる指導者のような人物がいる。事あるごとに『流れを読め』と言われるのだけど、そんなものは後になってから事象と事象を結んでみたり出来事の周囲に散らばる関連事項を絡めてみて「ああ、こういうことだったのか」と気付くのが精一杯で、過去の出来事から三段論法で予見した未来というのは大抵が大ハズレで、そして今日もまた「ばかやろう」と叱られるのだ。そのおかげで致命傷にならずに済んでるのだけど。
そんなふうにして見当違いであっても日々『流れ』というものを意識してるつもりなのだけど、ここんところ全くわからなくなってしまったというか読めなくなってしまった。不況だなんだと因果を自分と関係ない世間様に求めることはできるだけしたくないのだけど、それにしてもなんていうか『流れ』そのものが停滞してるように感じる。人も金も心も動かないというか。こんなときはどうすりゃいいのかなって考えた。自分でじたばたして鏡のように動かない水面に波立てて流れを生めばいいんじゃねえか?って思ったからじたばたしてみた。ぜんぜん間違ってた。
他にやることがあったり思いつきでじたばたしてたせいで、やりたいんだけど手が付けられなくてずっとモヤモヤしてたことがあって、それが今日ようやく片付いた。そしたら世界が動き始めたんだよ。なんだこれ?っていうぐらいいろんなことが動き始めたんだ。ずっと長いこと待ってた連絡が来たり、なかなか決まらなかったスケジュールが決まったり、金の目処がついたり、いきなり猛スピードで世界が流れ始めたんだ。牛乳飲んだら空から大量の熨斗袋が降ってきたみたいな感じ。『流れ』の読み方はわからないままだけど、意味がわかった気がする。