中折れ男と腋毛女 最終話

地中海を望む高台にある白壁の家、を意図してかどうかは判らないけれど西班牙料理の店は真っ白な外壁に出入口である重厚な木製の建具が設えてあり、建具とは対照的な鉄製の華奢なハンドルを引いて戸を開け店内に入る。臓物屋を出る際に携帯電話で予約を入れていたので「Tenemos reserva,me llamo Mumenkyo」と恰幅の良い受付の中年に告げると、一般客とは隔離された薄暗い奥の部屋へと案内された。10帖程の部屋に外周をぐるりと革張りのソファーが巡らせてあり、天井の中央には赤色のペンダントライトが一つだけ吊るされていてフラメンコギターの音色がヴォリュームを抑えて流れている。淫靡な雰囲気に包まれるその部屋には数名の先客がおり、甘い香りのする煙草をふかしてげへげへと笑う白人や、まるで他人など眼中にないスパニッシュがソファで半裸になり抱き合い舌を絡め合っている。

というのは全くの出鱈目であり(このパターンばっかり)戸を開けて店内に入り、カウンター席に林田を挟むようにして三人並んで座った。飲み物とタパスを注文した後に仕事の様子などを話したり、カウンター越しに厨房の店主へ声を掛けたところ店主と林田が地域的な話題で盛り上がりそうになってすぐ途切れたりした。戦後、食うに困っていた記憶が体に染み付いているような年齢の方々は、なにはともあれ腹一杯に食べろ遠慮はするなという接待の持論があり、人格形成時に割りとそういう方々と接してきた為に先程臓物屋であれこれ食べたにも関らず、西班牙料理店でもパエージャであったりパスタであったりと、炭水化物を矢継早に注文し食べるよう勧めた。杉本も林田も満腹であると言いつつ美味い美味いと食べていた。これはおそらく通称「別腹」と呼ばれるもので、彼らには牛のように胃袋が七つとか八つとかあるに違いない。そういえばたまにぐぼっと口の中へ食ったものを戻して再び咀嚼していたような気がするし、何を言っても返事が「もぅぅぅ」であった気がするし、林田に至ってはホルスタイン種のようなはちきれんばかりの乳房を揺らし・・・違う。彼らは反芻しないしモウーとか言わないし爆乳でもない。

あまり無茶苦茶なことを言っておると首を刎ねられそうな気もするので、西班牙料理の店を出てから彼らを宿に送り届けて初日は散会となったとだけ。翌日、宿に併設されておる飯屋で昼飯を一緒に食べることにしていたので宿へ行くと二人の姿はなく、女将に事情を話して二人が泊まっていた部屋へ案内してもらった。すると部屋では二匹の山羊が障子紙や襖紙をへむへむと食っておった。呆然とその様子を眺めていると山羊たちは食べ飽きたのか縁側から川縁の細い庭へ降りてゆき、そこらに生えている草を食み始めた。これは杉本たちが竜神様の逆鱗にでも触れて山羊にされてしまった姿ではなかろうかと思い、懸命に名前を呼んでみたものの山羊は山羊らしく眠い目をして無心で草を食むばかりであった。弱ったなあと思い頭をかいているとずしんどしんと山の方から聞こえてきた。部屋の反対側の窓から崖のように切り立った山を見やると巨大な家鴨がばきばきと木々を薙倒して降りてきている。すると地面から十五尺ほどの高さから頭上を飛び越えて川の方へ跳んで、びしゃんと大きな水飛沫を上げて川の中へ着地した。巨大な家鴨は、川辺でキャンプをしている家族連れなどを大きな嘴で啄ばみ丸呑みしていく。あまりにも突然の事態に身動きができずにいると、すぐそこで草を食んでいた雄山羊が、めええぇぇ、と一声嘶いて家鴨目掛けて駆け出した。空中を。
顎を引いて首を低くしながら雄山羊が宙を駆けて家鴨に近づくにつれ、頭に生えている角がぎゅんぎゅんと鋭く伸びていった。家鴨のちょろんと跳ねた尾のあたりに雄山羊が体当たりすると、その身体が強烈に発光しながら家鴨の体内に飲み込まれていった。すると家鴨がべちんと弾け跳んで辺りにべとべとした黄ばんだ白い液体をぶち撒けた。地面や木の枝、屋根に飛び散ったべとべとは次第に人の形を成してゆき、おそらく食われた人たちが人型家鴨ゾンビーとなって甦った。どいつもこいつも漆黒の目をして黄色い嘴を持ち体中を白い羽根で覆われていた。両手を宙に差し出してくわっくわっ言いながら徘徊する家鴨人間たちは、どことなく間の抜けた感じで恐くは無いのだが、それでもゾンビーには変わりはないので薄らキモいおもしろ人間という奇妙な存在であった。実際こちらに襲い掛かるようでもなく、落ちているドングリを啄ばんだり川の中へ首を突っ込んで稚魚を飲み込んだりしているだけだった。
すると今度は雌山羊が、めええぇぇ、と一声嘶いて川の中へざぶざぶ入っていく。真ん中の辺りまでいくとぶるぶる震え出して身体が七色に輝きだした。ぽんっ、と葡萄酒のコルクの栓を抜いたような音を立てて雌山羊は水に溶け、直後に東京ドーム0.7杯分ぐらいの虹色の水の塊が空へ舞い上がった。空中で、ぷぅ、と会議の席で周囲に悟られないように絞り出した屁のような音を立てて虹色の水は散り散りになりスコールのようにざんざんと辺りに降り注ぎ家鴨ゾンビーたちの上にもまんべんなく落ちてきた。極彩色の集中豪雨が止むと辺りから人の気配が消え、川の水は流れているもののどうどうという音も消えて完全な静寂に包まれた。宿から出て川のほうへ歩いていき赤い鉄骨製の吊り橋のところまでいくと、向こう側に杉本と林田が立っていた。おい、と声を掛けると菩薩のような顔で杉本が、ヨーソロー!二股!とわけのわからないことを言った。え、なにそれ?と聞き返すと林田も菩薩のような顔をして、耕耘機を買わないといけないから、と言った。たぶん二人きりで乳繰り合ったりしたいのであろうなと合点して、もう邪魔はしないから好きなだけちゅうちゅうしろ、と言って見送った。おしまい。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体等は全て架空のものです。