勝間和代十夜
第七夜
虎ノ門の交差点に差し掛かるあたり、道路工事の照明以外には明かりはなく眠らない街といえども眠るのだなと、さっきまでいた新宿のネオンを少しだけ懐かしく思う。
思えば俺は何を目的に深夜の東京を彷徨っているのだろう。この脚が皇居の西側から外堀通りへ入り東の東京湾へ向かっていることだけは確かなのだが暇を持て余しているタクシーも使わず歩き続ける理由は何なのだろう。意地。一度歩き出してしまったのだからギリギリまで歩き続けて意地を張ってみたい。明確ではないにせよどうやらそういうことらしい。湿気を帯びた夜風を受けながら城壁のようなビルの谷間を歩いていると前方に寝静まらない明かりが見えた。どうやら新橋駅が近いようだ。
一気に隅田川まで歩いてしまうか、それともここで宿を探すか。この先の銀座界隈ではいまからチェックインできるような安ホテルもないだろう。一応目処だけつけておくことにして看板を頼りにビジネスホテルを回った。「今からですと生憎ツインのお部屋しかご用意できません」。たかだか数時間の惰眠を貪るために二人分の部屋賃を払うのは馬鹿馬鹿しい、誰かもう一つのベッドを使うというのであれば別だが。「また来る」フロント係りにそう告げてロビーの自動ドアーを潜って消えかけたネオンが懸命に煌く方へと歩いた。さっき停めた携帯電話のデジタルミュージックプレイヤーをそのままにしていたから通りの声を初めて耳にした。路地のそこかしこに立ち携帯電話で話している女達の言葉は日本語ではなかった。
『オニサン、マサージドウ?サンゼンエン』
女達は口々にイントネーションのおかしな日本語でそう言いながら近寄ってくる。韓国人か台湾人。フィリピンやタイの女達とは違って日本の女達とどこがどう違うのかはっきりとは分からない。ただなんとなく目の奥に欺くために怯えるような狡猾な輝きを宿している。この女達一人一人が壮絶な人生やカルマを背負っていたとしても、そんなものにいちいち関っている余裕はない。目を合わせないように聞こえないフリをして煙草に火を点けた。喉が渇いて口の中がザラつく。睡魔と疲労と悪戯に過ぎてゆく時間に対する焦燥感が身体から水分を奪ってだんだん考えるのが億劫になってきた。駅から1ブロック離れたビジネスホテルでも満室だと言われた。もう一度駅に向かう路地の交差点で、蠱惑的な身体の曲線を持つ髪の長い女がこちらをじっと見ている。若い。まだ10代じゃないのかと思わせる幼い顔をした女が例の台詞を口にした。いくら払わされるのか見当もつかないが、もう考えるのが面倒になって、この得体の知れない若い女を抱けば乾きも癒えるのかと思い始めたその時だった。
遠くで金属が高速回転する音が聞こえたかと思ったら、そいつはもう目の前にいて、乗ってきた自転車をガシャンと放り出して若い女に向かって右の手の平を突き出して「断る!」と強く言った。突然現れた代理人に若い女は驚き、怪訝そうな顔をして向こうへ去って行ってしまった。若い女の姿が見えなくなるまでそいつは歌舞伎の大見得を切ったような格好で微動だにしなかったが、去ってしまうのを確認するとそいつはゆっくりこちらに向き直った。目が離れていて鼻の穴と口が大きな妙齢の女だった。一体こいつは何者なんだと事態を飲み込めずにいると
『貴殿に御提案申し上げます。単刀直入に申し上げてマッサージ三万円でいかがでしょう?』
とそいつが言った。なにを言ってるんだこいつ。さっきの10倍じゃないか。しかしこれだけの自信に満ち溢れている態度なのだからこの申し出を飲めば今までに経験したことのないような快楽を得られるかもしれないと思い始めていた。今、目の前で起きていることはすべて正しい気がしてきたからだ。俺は女の提案を受け入れることにした。
さっきのホテル、ツインルームに入ると女は徐にバッグから電動の器具を取り出した。女は恍惚の笑みを浮かべてスウィッチを入れるとモーター音に合わせて「ウィンウィン・・・」と呟いた。ひとしきりマスターベーションを終えると今度は俺に襲い掛かり尽き果てるまで貪った。満足すると部屋の窓を開け放ち白んできた空が運んでくる冷えた風を浴びて火照りを覚ましながら、性交を呼ぶ7つの法則とかいう持論をとうとうと語った。すっかり精気を奪われた俺はベッドに横たわりながらその声をどこか遠くに聞きながら眠りに落ちていった。アラーム音で目覚めると女の姿はすでにそこにはなかったが、女が使ったベッドに置き忘れた電動の器具が電池の残量を振り絞るように蠢きながら「ウィンウィン・・・ウィンウィン」とモーター音を唸らせていた。
勝間和代十夜とは