美しい×美しい
30も半ばを過ぎると怒られるというか叱られるというか説教されることも滅多になくなるのだけど、昨夜は割りとちゃんと説教されてぼんやりしてた視界が開けた(気分になった)ので書いてみる、という心持ちでさっきから書いてはいるのだけど上手いこと書けなくて何度も書き直して嫌になってきたので大事なところだけ要約すると、命を磨り減らすほどの必死さっていうのは美しいものであって、花だって咲けば散ってしまうけれどそんなことお構いなしに阿呆みたいに花弁を広げるから美しくて、その色っていうのはその花が信じる道っていうか「どうだ!」っていう意思みたいなもので、ていうか決定付けてるのは咲いてる花の根っこが触れてる土の成分だとかそういうものなんだろうけどその状況に呼応してることすら宿命みたいなものを表現してるっていうか、それだって何万年何億年ってかかって受け継がれてきたというか作り上げてきたもので、今なお進化しつづけているというか求める道の最中にあって、なんつうの?花の美しさっていうのはそのものの美しさと生き様の美しさが同居していて、こう、人間の生きる様っていうのもそういう感じに激しく美しくあるべきというか、おれの言葉がちっとも美しくねえ。