カット日記

鏡の中にデビュー当時の松田聖子の髪型をしたおっさんがフレッシュさの欠片もない冴えない顔して佇んでいたので断髪式を開催する決意をして秋の気配を感じながら開けっ放しにしておいた夏の扉をパタンと閉めた。いつもの美容院に電話をすると「すみません予約がいっぱいなんです再来週はいかがですか?」などと素呑気なことを言っておるので、あんたはこの聖子ちゃんカットっていうかダイアナ妃(故人)が新婚当初にしてた外跳ねカールみたいな髪型のおっさんを見ても同じセリフが吐けるのか!と涙ながらに訴えたかったのだが、電話口のアシスタントのオンナのコが建物から走り出てきて『棄却』と書かれた紙を誇らしげに広げる光景が脳裏に過ったのでヨレヨレと力なく「あ、じゃあまた電話します」と絞り出して受話器を置いた。

とにかく可及的速やかに髪を切らないとかに道楽のウインウイン動く看板みたいな髪形になりそうだったので、石原良純のように口を尖らせつつ黄色い電話帳を手に取り手当たり次第にローラー作戦で美容院に電話を掛け「えーと、お願いできますか?」と半オクターブ高めの声でカットの予約を取り付けようと獅子奮迅の働きを見せていたところ「すぐならできます」という返事を寄越したナイスでクールでディスティニーな店があったので窓の外にホバリング状態で待機させておいた自家用ジェットヘリにジャンプして飛び乗ってスクランブル出動した。果たしてそこはチープなインテリアが醸し出す場末の雰囲気が漂う美容院であった。

「先ほど電話した者ですが」と流暢なエスペラント語で言うと、女性だか男性だか判別できない感じの受付の人が「あ、はい」とだけ言った。すると物陰から愛想のないシャンプー係りが躍り出てきて「そこのシャンプー台に座りやがれー!ヒヒヒヒー!」と脅すので産まれたての仔牛のようにフルフルと膝を振るわせつつシャンプー台に座ると首にタオルとビニル布をあてがわれ「苦しくないですか?」という定型文もないまま椅子が傾き頭を洗われた。それはまるでキムチ工場の職員がでっかい樽かなんかの中で発酵熟成を待つ白菜をぐわっしぐわっしとかき混ぜるようなダイナミックなシャンプーだった。洗い流す際にはバケツいっぱいの水をバシャーンとやられるのではないかと戦慄したのだが、そこらへんはふつうにシャワーでシャワワワーだった。

長くなってきたので割愛するが、先ほど受け付けにいたバイセクシャルというかユニセックスな店員がカットの係りで、この人がずっと『はあ?なにが?』という顔をしていて鏡越しに視線が合うと思わず肩幅が5cmぐらい縮むほどに非常に恐縮せしめる感じの人だった。髪を切り終わったところで「あの、眉毛って切ってもらえますか?」と回らない寿司屋で何度もガリをおかわりする感じで平身低頭な申し出をしたところ相変わらず『はあ?なにが?』という顔で「かしこまりました」という返事を棒読みされたので「めんどくせーこと言ってんじゃねえよ、このマユゲルゲ」という内なる声みたいなのが聞こえて泣きそうになったけれど睫に涙を溜めて精一杯我慢した。おかーさーん!おっぱいがペシャンコの店員がボクのこといじめるんだー!心の中でそう叫ばずにはいられなかった。ちなみにウチの母もペシャンコだ。

「どのくらいの細さにしますか?」と聞かれたんだけどそんなことはわからないので「半分ぐらい?」とか適当なことを言ったら「眉毛って描きますか?」と普通に聞かれたので驚愕した。俺以外の30半ばのおっさんは眉毛描くの?それが普通なの?とか思ったんだけど、おそらく半分という数値目標があまりにも当社比で細いのだなと気付いたので「いや、描かないんで細さとかおまかせします」と言い直したらそうですかと残念そうな顔をされたので、え?え?描いたほうがいいの?やっぱそれ普通なの?と不安になりながら眉毛を切ってもらった。途中、また眉毛サイズのことを聞かれたときに「すぐ伸びちゃうんですよ眉毛」と言ったら彼女は急にアハハと白い八重歯がこぼれる可愛らしい笑顔を見せた。そして0.02秒ぐらいで『はあ?なにが?』という表情に戻ってしまったので、頭の中で『いとしのエリー』の「笑ってもっとベイベー」の部分がレコード針が飛ぶように何度も何度も再生された。

という日記の不必要に誇張してる部分をカットすると

初めて行く美容院で髪を切ってもらったんだけど店員さんが割りと愛想なかったよ

で、済んじゃうっていうね。つうかここまで読む前に挫折してるだろっていうね。