The Phantom of the Nightclub
プロローグ
東京、新宿歌舞伎町。ネオンサインが煌くこの歓楽街で一攫千金を狙う者達が次から次へと現れては消えてゆく。そしてまたひとつ、熾烈な夜の世界に新たな店が加わろうとしていた。長らくこの地で掲げてきた看板を降ろすことに決めたルフェーブルは後進のフィルマンとアンドレに道を譲る。彼らは早速キャバクラ『ハンニバル』の開店準備に取り掛かった。
第一幕
真新しい内装の店内ではオープン記念時に配布するパンフレットの撮影が行われていた。店の"顔"となるキャストはフィルマンとアンドレが他店から引き抜いてきたカルロッタであり、気位の高い彼女は満足そうに撮影に応じていた。艶やかなドレスに身を包み華やかな巻き髪でカメラに向かって微笑む彼女。所狭しと動くスタッフの一人が棚にぶつかり胡蝶蘭の鉢を倒してしまう。運悪く鉢は彼女の頭に当たりドレスは土にまみれ自慢の巻き髪も崩れてしまうと彼女はやってられないと怒って店を出て行ってしまった。
アクシデントを引き起こした撮影スタッフの所在が確認できずカルロッタに本人から謝罪がなされないまま時間だけが過ぎてゆき、彼女の怒りは完全に拗れたままオープンの日を迎えた。カルロッタの代役としてNo.1候補に選ばれたのは、支配人が信頼を置いている銀座のクラブのママであるマダム・ジリーが推薦したクリスティーヌだった。一介のペルプ嬢と目されていたクリスティーヌであったがオープン当日は如才なく接客を勤め、一躍店の"顔"となった。
閉店後、控え室ではマダム・ジリーの娘でありショーダンサーとして店に在籍しているメグ・ジリーがクリスティーヌの活躍を褒め讃えていた。クリスティーヌはメグに『おっさんの天使』のおかげだと説明した。そこへVIPルームに招かれていた店の入っているビルオーナーのラウルが花束を抱えて訪ねてきた。クリスティーヌとラウルは幼馴染であり、思春期になる頃から疎遠になった二人は再会を喜び、まだ小さかった頃を懐かしむように思い出話をした。
ラウルがトイレへ席を立ったときにクリスティーヌが上気した顔で姿見を覗き込むと、鏡の向こう側にマスクマンが立っているのが見えた。クリスティーヌはその不思議な光景をそのまま受け入れると、鏡の向こう側へ招かれるまま歩を進めた。クリスティーヌの身体は鏡の中へ入っていく。トイレから戻ってきたラウルが控え室のドアを開けようとすると鍵が掛けられていて中に入れなかった。クリスティーヌはマスクマンに誘われるままに非常階段を下りビルの地下へと連れられて行った。
ビルの地下の一室からサブナードに出た二人は地下街を進み、とある雑居ビルに入る。ここがマスクマンの隠れ家だという。蝋燭を灯しただけの薄暗い部屋でマスクマンはクリスティーヌにおっさん心について語った。すっかりおっさん心の掌握術を得た彼女はマスクマンの正体を知りたくなり早速自尊心を刺激しつつ甘えてそのマスクを剥ぎ取った。素顔を見られ驚かれたマスクマンは傷つき激怒した後マスクを返すよう懇願した。彼の孤独を感じたクリスティーヌはマスクをそっと彼の顔に戻した。
『ハンニバル』は盛況であった。気難しい客のことや、客に執拗に身体を求められたときなど、クリスティーヌはマスクマンの雑居ビルを訪れ相談した。マスクマンは都度クリスティーヌに、おっさんとはどういう生き物なのかを説いた。ある日、雑居ビルから明治通りのタクシー乗り場までクリスティーヌを送るマスクマンの姿を呼び込みのブケーが目撃した。店の控え室でブケーがマスクマンの真似をしているところへマダム・ジリーがやってきた。彼女はモデルが誰であるか悟りブケーに死を暗示した。
マスクマンは支配人に手紙を送り、こう綴られていた。「5番のボックス席を永久にリザーブすること」「教育係としての報酬を支払うこと」「店をもっと高級に改装すること」「クリスティーヌをNo.1キャストにすること」そして最後には「もしも要求に背くようなことがあれば諸君の想像を絶する災いが起こるであろう」と。それを知った復帰直後のカルロッタは侮辱だと激昂したが支配人らが宥め、後に高級店『イル・ムート』として再スタートを切った際にはカルロッタをNo.1キャストにすると約束した。
果たして新装オープンした『イル・ムート』では高級店らしく客層が今までよりもグレードアップした。まさにカルロッタが醸し出す妖艶で退廃的な夜の雰囲気にピッタリであった。水を得た魚のように指名を稼ぐカルロッタであったが、彼女は勧められた酒を断る術を知らず全てを飲み干していたため、次第にアルコール依存症になっていった。それでもその豪放さに魅せられる客は少なくなく、彼女の人気は磐石なものになっていった。
ある日カルロッタは上客になりそうな財閥系企業の幹部についた。彼女はシャンパンボトルを一気に飲み干し、あろうことか幹部の顔目掛けて派手に放尿を始めた。小水は絶え間なく流れ出ており辺り構わず撒き散らしているところブケーが乱入してきてカルロッタの小水を口で受け止め始めた。あまりの状況に誰もがただその奇妙な様を眺めることしかできなかった。口いっぱいの小水を飲み干し恍惚の表情を浮かべるとブケーは意識を失う。尿を介した急性アルコール中毒だった。ブケーは下戸だった。
救急隊が駆けつけ大騒動になった店内を抜け出したクリスティーヌはビルの屋上にラウルを呼び出し助けを求めた。ラウルはクリスティーヌの求めに応じ彼女を守ることを約束する。二人はお互いの愛を確かめ合い将来を誓い合う。その様子を物陰から見ていたマスクマンは深い哀しみに包まれるのだが、それはやがて嫉妬の業火に変わってゆく。支配人から別の店を紹介され緊急避難的に赤羽の店にクリスティーヌが入店したのだが、様子を見に来たラウルの目の前で彼女の足元にシャンデリアが落とされた。
半年後
第二幕
救急車騒ぎのイメージを払拭するため『イル・ムート』は暫定的におっぱいパブ『ポーニョ・ポーニョ』として営業していた。そして大晦日の晩はコスプレイベントが催され支配人からクリスティーヌやラウルも招待されていた。やがて照明が落とされ爆音と共にゴーゴータイムが始まった。扇情的な光景を目の当たりにして二人は妙に燃え上がり婚約を交わす。そしてゴーゴータイムの闇に乗じてマスクマンが現れ、支配人に自作の『ドン・ファンの勝利』出店企画書を渡して去っていった。
ラウルは独りで銀座へ。謎のマスクマンの秘密を突き止めるため、彼について何かを知っているであろうクラブ佐和のママ、マダム・ジリーの元へ訪れた。受付の黒服にマダムは来客中だと言われ、促されるまま革張りのソファーに腰掛けると隣に次期女帝と呼び声高い彩香が来た。一目見て彼女の器量を疑わしく思ったラウルは少し失礼な物言いをした。刹那、彼女は「ふざくんな!」と叫んでグラスの中身を彼の顔にぶちまけた。ラウルは何の収穫もないまま退却を余儀なくされた。
支配人のオフィスに『ドン・ファンの勝利』についてマスクマンからの指令書が届く。「会員制とし完全予約制とすること」「クリスティーヌはVIP専属とすること」「風営法第二条第6項第二号に該当する同法第二十七条の届出をすること」など。この内容は瞬く間に関係者に知れ渡りビルオーナーであるラウルの耳にも届いた。彼は話を聞いて愕然とし胸が張り裂けそうになったが、マスクマンを罠に嵌めるために敢えて彼女に従うよう薦めた。当然、彼女はそれを拒否した。
マスクマンの報復を恐れた支配人は彼の指令に従うことにした。早速その筋の講師を呼び寄せレッスンが始まった。そこには最早キャバ嬢としての復帰は絶望的である堕ちたカルロッタの姿もあった。張り型を使っての性戯のレッスン中に彼女が雰囲気がなさすぎて盛り上がらないと主張すると、突然、電源もないのに張り型がウネウネと動き始めた。そして彼女の手の中で激しく暴れ始めたかと思ったら突然、栗の花の匂いのする液体を彼女の顔や身体にぶちまけた。カルロッタはイカ臭すぎて失神した。
思い悩むクリスティーヌは父の墓を訪れる。するとマスクマンが墓石の中から現れ、我こそが父上の言っていた『おっさんの天使』だと言った。そしてマスクマンはおっさんの哀愁について切々と説いた。クリスティーヌはマスクマンの語りかけに思わず誘い込まれ、癒しを与えなければならないというような使命感すら持つようになった。そこへ彼女の後を追ってきたラウルが現れ、おっさんの嘆きや悲哀なんてものに性風俗産業との因果関係などないと言い放つとクリスティーヌは我に返った。
いよいよセクシーパブ『ドン・ファンの勝利』のオープンが目前に迫ってきた頃、ラウルはクリスティーヌのVIPルームにマスクマンが必ず現れると確信し、彼を捕らえるために思いつく限り応援を要請した。警備会社のSP、警視庁、公安委員会、消防庁、夜回り先生などなど。VIPルームには隠し扉がありマスクマンが入室した瞬間に17歳の女子高生と入れ替わる手筈にして、東京都青少年の健全な育成条例の第十五条の三第1項第二号違反での現行犯逮捕という作戦だった。
『ドン・ファンの勝利』オープン当日、クリスティーヌの元へいくつかの予約が入っていた。最初の客は予約時刻ジャストに現れ黒服に案内されてVIPルームに入室した。その様子を捕獲者の面々は注視していたが不審に気付かなかった。が、クリスティーヌは入室してきた男の様子がおかしいことに気付いた。男の頬に手を当てるとそのまま顔の皮を掴んで一気に引き剥がした。特殊ラバーの仮面の下にはいつもの仮面があった。マスクマンは激情を告白するがクリスティーヌは悲しい顔で首を横に振るばかりだった。
クリスティーヌが助けを呼ぼうとドアに手を掛けた瞬間マスクマンの手刀が彼女の延髄を打ちその場に崩れた。ドアの外では予定の時間になっても部屋から出てこない男を不審に思った捕らえ役の連中が痺れを切らしていた。ノックをしても中から返事がないのでいよいよ男達は部屋の中へ踏み込んだ。すると中には素っ裸でギャグボールと鼻フックをかまされて海老責めの格好で縛られた女子高生が床に転がっているだけで、クリスティーヌもマスクマンの姿もなかった。
マスクマンは気絶したクリスティーヌを担いで点検口から天井裏を通って非常階段を駆け下りるとサブナードに出て好奇の目を向ける群集を掻き分けて隠れ家である雑居ビルへと入っていった。その情報はたちどころにラウルの耳に入り一網打尽にすべく関係者総動員で急行した。追っ手が隠れ家に近付く頃、薄暗い部屋で目覚めたクリスティーヌはマスクマンになぜこんなことをするのか尋ねた。マスクマンは問い掛けには答えず渡したいものがあると言って小箱を取り出した。
飴の小箱によく似た箱の中には銀色の包みが幾つか入っていた。包みの一つを取り出しクリスティーヌに渡そうとしようとしたときドアを激しく叩く音と彼女の名を叫ぶラウルの声が聞こえた。マスクマンは彼を招き入れた。が、それはラウルにとって罠だった。闇に紛れていた屈強な黒人達が現れあっという間にラウルは裸にされ尻に馬のようなビッグマグナムがスタンバイした。マスクマンは「私の愛を受け入れ彼を助けるか、彼の括約筋をズタズタに引き裂くかどちらかを選べ」と卑怯極まりない選択を迫った。
クリスティーヌはあまりにも酷いやり口に絶望したが、マスクマンのことを不憫に思いキスをした。すると彼は急にラウルを自由にし二人を逃がした。そして蝋燭を吹き消し漆黒の闇の中へ溶けていった。少し遅れてマスクマンを捕らえようとする連中が部屋の中まで踏み込んできた。が、すでにそこに彼の姿はなく、正体を示すようなものもなく、ただサイドボードの上に銀色の包みが入った小箱が残されているだけだった。
エピローグ
いま、あたしのルーツを知るたったひとつの手掛りといえば、母が残していったこの飴の小箱によく似た箱だけ。中には銀色の包みが入っているけど、どうやらこれは飴じゃなさそう。母は大恋愛の末に結婚して私を産んだらしいのだけど幸せは長く続かなかったみたい。あたしを九十九里の実家に預けて母はこの街で店を開いたの。そしてこの街の女王になったわ。そんな噂を聞いてあたしもこの店を訪ねて来たんだけど、黒服が言うには毎週金曜日に通ってた男と消えたらしいの。だから今夜からあたしがこの歌舞伎町の女王になるの。
あたしの名はクリトリース。15歳。