パーラー・アトリエ
会社の一角に使われていない部屋がある。先代というか親父が使っていた部屋。社長室と呼べば聞こえがいいけれど実際は昼寝するために作られた部屋。日当りも悪いし風通しも悪い。先代がいなくなってからはミーティングテーブルを他の打合せで占領されていたり、腹黒い談話が他に漏れないようにする時だったり、個人的な来客のときだったり、に使われている。物置兼応接間として不遇の扱いを受けているその部屋を、なんとかしたいなあと考え始めてから随分と時間が経った。ようやく『どうしたいか』がカタチになってきた。実現するのかはまた別の話。
昔、僕が小さかった頃に親父に何度か連れて行ってもらった喫茶店がある。パーラー・アトリエという名前の喫茶店で、4階建てのビルの2階にその店はあった。人造石の貼られた階段を上っていくと一枚ガラスのドアがあって、そこからオレンジ色のような茶色のような光が漏れていた。ドアを押し開けて店内に入ると、珈琲の芳ばしい香りとバニラアイスの甘ったるい香りと、足元の絨毯から立ち上る埃の匂いがした。カウンターの中におじさんが一人いて、その人がマスターでもう顔も忘れてしまったけれど、いつも「よく来たね」とか「大きくなったね」というようなことを笑顔で言ってくれてたような気がする。それはもしかしたら都合よく書き換えられた記憶かもしれない。ただ、あの匂いだけは鼻の奥で今でもうっすら感じることができる。
僕と親父は、時にはカウンター席に座って、時にはブロック崩しや麻雀のテーブルゲームの席に座った。僕はいつも違う飲み物を、まだ試したことのない飲み物をランダムに飲んだ。ある日、アイスミルクを頼んだら砂糖が入っていて驚いたのを覚えている。親父はいつもメロンソーダを、緑色のシロップが底に沈んでいて上は無色透明な炭酸水になってるやつを飲んでいたと思う。そいつにアイスを浮かべたソーダフロートだったりもした気がする。カウンター席の時はマスターと親父は何か会話をしていたのかもしれないけれど、覚えているのは基本的に無言で、なにかこう、ぼんやりとした時間を過ごしていたことだ。コカコーラのロゴマークの入った赤い時計が奥の壁に掛けてあって、秒針がチッチッと鳴っていた気がする。そして忘れもしないことは必ずソフトクリームを食べたこと。なんて呼ぶのか知らないけれど銀色した針金細工みたいなソフトクリーム立てに立てられた甘い匂いのするソフトクリームを、その入れ物ごと持って舐めて、コーンの縁までクリームを食べたらコーンを引き抜いて食べた。
喫茶店はとっくの昔に廃業してしまったのだけどビルはまだそこにそのままの姿で建っていて、ある晩に連れて行かれたスナックがその喫茶店の後釜に入った店で、当時を思い出しながら階段を上り、ガラスのドアを押し開けたらカウンターなんかはそのままだったけれど、珈琲の匂いも甘い匂いもしなくて、絨毯の埃の匂いと強烈な香水の匂いと、おしぼりの洗剤の匂いがした。馬鹿丸出しで言うならとても悲しかった。入り口付近で、あーあ、と思っているとハスキーボイスに招き入れられてスプリングが抜けてしまったようなソファに座らされ、薄い焼酎の水割りを舐めながら張り替えられた趣味の悪い壁紙を眺めてたら、なんかこう、勝手にせつなくなった。自分勝手が加速していって、嬌声を上げる店員に「ババアふざけんな」と思った。というのも、その店っていうのが親父の宣戦布告であり、この街での挫折だったという話を親父本人の口から聞いていたから。はた迷惑な思い入れがありすぎる店だから。
話を最初に戻す。たぶん空き部屋に流し台やらカウンターを設けたら、5人も入れば満席になるような店ぐらいしか出来ないと思うけれど、客なんか来ないだろうからそれでいい。あの珈琲の匂いと甘いソフトクリームの匂いと埃の匂いと時計の音と、ぼんやりとした時間があればいい。つうか、その前にこの建物を手放すようなことにならなきゃいいんだけどさー。おしまい。