クヨクヨしないからクネクネさせて

いいじゃねえかよ愚痴らせろよ。
正月に僕が敬愛する人から電話があった。高校時代に体育の担任だった教師を覚えているかという。覚えているも何もその教師は部活でも担任であったので悪い意味で忘れることはない教師だった。そこらへんは頭の悪さがこれ以上露呈しないように触れないでおくのだけど、とにかく覚えていると返事をしたら仕事絡みの用件があるから一緒に会いに行こうというので二つ返事で了解した。正月休みが終わってすぐにその教師の元へ会いにゆくと、確かに僕の仕事に関係している内容の悩みを抱えていた。とはいうものの話しを聞けばすでに同業者が唾を付けていて、その同業者というのも先代とツーカーの仲であった人物で、こりゃ仕事には繋がんないと肌で感じたので教師の話を聞くだけ聞いた後に色気抜きで思うままのことを話した。世の中というのは得てしてそういう転がり方を見せるのだけど、その教師は僕の意見にすっかり心酔したような口ぶりで計画を一から見直すと意気込み始めた。敬愛する人からの僕を後押しするような発言がその熱狂を生む一因というか大勢を占めていたと思う。あまり及び腰では食っていけないのだけどやっぱりその同業者から受けた恩義みたいなもののこともあり、センセイがやる気になるのはいいけれど無理はしないでくれと下駄を預けてその日は別れた。
そして教師から一通の手紙が今日届いた。内容は僕の話を聞いて漠然としていたものが形になって、諦めかけていたことをどうにか実現するように努力をし始めたよありがとう、ということと、それでもしがらみは断ち切れないからお前さんには仕事が渡せないということだった。一旦下駄を預けたのだから滑ろうが転ぼうがセンセイの決断にケチをつけるつもりはないし、正直、言ってることを理解してくれて感性みたいなものが通じ合ったことは大変嬉しく思うのだけど、それでもやっぱり仕事にならないんじゃ意味ねえよなという寂しい気持ちの方が強い。そうやって感性の部分での評価が世間に浸透していけばいつかはきっと・・・という淡い期待を持たないわけではないけれど、一銭にもならないんじゃ趣味でやってるわけじゃないからイイヒトでは済まされないのが現実で、まして体よく断るための方便だったりしたら鵜呑みにするのは間抜けすぎる。かといって初っ端から金の話を切り出す輩なんてのはどこをどう信用したらいいもんかわからない。はてさて一体どうしたもんかしらねと思ったりなんかしちゃったりしている。