六甲おろしは歌えません
野球のルールすらよく知らなかった1985年。当時の阪神タイガースの強さは物凄くわかりやすくそして感動的だった。相手が投げるそして阪神がバットを振るとボールは宙に舞い上がり相手の誰もが取れないところへ飛んでゆくのだった。タッチアップだのロージンバッグだの一塁が右か左かもわからない小僧がいちいちルールを覚えるよりもストレートに、あの放物線の美しさだけで野球の魅力がなんたるかを教えてくれたのが阪神タイガースだった。そんなこんなで「すきなのは阪神」という気持ちになった。翌年はまあいいとしても87年からはいいとこなしだったので、毎年オールスター明けには興味が失せていた。91年なんかはちょっと前の楽天ぐらい弱かった。
すきなのは阪神でいたら知らず知らずのうちにアンチジャイアンツとなった。ついでに日テレも嫌いになった。低迷してた頃『伝統の』と冠が付く巨人戦で斉藤あたりにチンチンにやられ、ヒーローインタビューであの甲高くて舌っ足らずが笑っていると心底ムカついた。それでも阪神自体に見切りをつけるような感覚はなかった。92年になるとちょっと強くなったし田村が巨人をケチョンケチョンにするのがたまらなかった。田村は契約更改の場に普通のママチャリで現われた。ちょっと野球の上手いそこらのおっさんみたいな感じだった。
そんで星野監督が就任してついに春が来た。特に2003年の阪神タイガースはめちゃくちゃ強かった。日テレで巨人戦の中継のときにボコボコに点を取ってるときなんかは積年の恨みを晴らすというか溜飲を下げるというか、極端ないい方をすれば射精のときの快感に近いものがあった。阪神が点を重ねるたびにアナウンサーの口数が減っていくのがたまらなかった。スカパーも駆使して観れる試合は全部観た。たぶん今までで一番ナイター中継を観た一年だった。「最も球場に通った一年だった」であった方が熱心な感じがするし聞こえもいいのだけど、テレビで観るぐらいがちょうどいいからそれで合ってる。
そんで昨夜、巨人戦を観てたら5回途中までは投手戦でわりとヒリヒリする展開だったのだけど、阪神が一挙に6点取ってザマーミロって歓喜する瞬間に、あのアドレナリンが噴出する感覚がやってこなかった。射精するような快感に貫かれなかった。言ってみれば、ずーっとおしっこを我慢して我慢して我慢し続けてやっとおしっこした時に、出てる感覚があんまりなくてじゅわーって漏れてるような感覚っていうようなものしかなかった。つまんなかった。強さが持続している阪神に接するっていうのは、世界で5本の指に入るような美人とうまいことどうにかなっちゃったんだけど実際指が5本も入るような人だったとかそんな感じなのかもしれない。ぜんぜん違うけど。