おわらないうたをうたおう

人が死ぬってことは確かにセンセーショナルなことだけれど、そうはいっても当たり前みたいに人は死んでいく。必ず。この世で唯一の『絶対』かもしれない。少し前にも書いたけれど震災も原発も関係なく身内が立て続けにこの春亡くなった。一人は父の兄、もう一人は父の従兄弟。どっちも70歳になるぐらいだからそんなに驚くことでもないのかもしれないけれど、やっぱり人が死ぬってことは驚きが最初にやってくる。どんなにヨレヨレで病気のデパートになっていたって、えー!って驚く。なんなんだろうなアレ。そんでじんわり寂しいような悲しいような感じになって虚無っていうか世の中が嘘くさくなる。咲いてる花も輝く太陽も美しいあの人も、全部嘘になる。で、なんか飯食ってたら不意に「生きてるなー」とか思ってみたり。なんなんだろうなアレ。

命日が近くなるとあれからもう何年経つなって毎年おもうんだけど、それは親父が死んでというよりも会社を継いでという意味合いのほうが強い。この「あれから」の数字がひとつ増えるごとにちょっとホッとする。なにか世間から赦されるような、背負ったものがいくらか軽くなるような感覚だ。でもそのなんだ、何年続いたからもう(会社を潰しても)いいという話でもないから、自分でもういいやって放り投げるまでこれは一生続くのだろうし、その数字が自信みたいなものになっていけばいいなとおもう。そういうのがかえって逆作用に働く話はよく聞くけれどもそりゃあ仕方ねえんじゃねえのっておもう、正直。だってそれなりにやってきちゃったんだもんなあ。

このまえ誘われて行った肩書がいちおう代表ってことになってるおっさんが集まった飲み会で、いくつで代表になったかという話になったとき、おれは親父が死んじゃって世間に放り出されたのが34歳だったと言ったら、おれも放り出されたクチだけど33歳だったって話すその人の先代は飛行機事故で亡くなったのだった。ほんといきなりで会社継ぐことになったからわけわかんなくて関係各位に土下座して回って仕事世話してもらったって笑ってた。と、不意に東北のことをおもった。先代が震災やらなんやらで亡くなって会社どうするみたいな事態になってる人がゴマンといるんだろうなとおもった。あんな自分の会社も取引先もグシャグシャな状態でそれでも債務はきっちり残ってて、焼け野原みたいなところで新たに代表としてやっていかなきゃならない連中がいるんだなっておもうと、おれはずいぶんラッキーだったなとおもう。

誰かの死の意味を考えるとき、それが啓示に似たようなものではないかといま生きて身の回りに起きている事象の中からそれっぽいものを探してしまう。それは正解かもしれないし違うかもしれない。理由なんてものはいくらでも後付けできることだし因果を繋ぎ合わせることだって自己暗示みたいなものだ。いくばくかの慰めにはなるだろうけど。原子力発電所が吹き飛んで大勢の人が死んだとして、やっぱりそこに意味はないような気がする。ただ、死んでしまった人たちがどう生きてきたかということは遺された者にとっての道しるべにはなるだろう。人はいつか必ず死んでしまうのだから死なないようにすることが生きるということなのかもしれない。
ちっぽけな自尊心に押し潰されないようにやれることをやって生きていって、風が吹いて陽のあたる芝生の上で好きな女の膝枕で髪を撫でられながら死にたいなとおもった。それがおれの死に様であるならば髪の毛は絶やさないように心掛けないとな、と強くおもった。わりと本気で。