無法の世界

深夜まで仕事をした後、弛んだ尻を引き締めようとちょっと遠回りしてコンビニまで歩くことにした。22時頃には星が見えていた空には知らない間に厚い曇が蓋をするように覆い被さっていて肌寒い空気の中にどこか生温さが混じっていた。バイパスのトンネルに差し掛かったところでイヤホンから小気味良いリズムが聞こえてきてナトリウム灯に照らされた回廊を真っ暗な出口に向かってずんずんと歩いた。静まり返った沿道の住宅から漏れる明かりは豆電球のオレンジ色がちらほら見えるだけで、街全体がオレンジと黒のまだら模様になっていた。
トンネルを抜けて少し行ったところで正面からやってきた軽自動車がヘッドライトを消して路肩に停まった。よく見れば屋根の上に赤色回転灯が付いていてボディは白と黒に塗り分けられていた。おれは咄嗟にポケットの中から白い粉の入ったパケを側溝にそっと捨てた。というようなこともなく、車の中から誘導灯のようなものを手にした中年の制服警官が、おれの行く手を阻むように歩道に出てくるのを近付きながら見ていた。中年の警官の顔が見えるところまで来ると懐中電灯の白い光を足元に照らしながら若い制服警官が脇から近付いてくるのに気付いた。
すかさず若い警官の腰からリボルバーを抜き去り撃鉄を起こして中年警官のこめかみの辺りに圧し当て「おれに構うな」と押し殺した声で囁いた。ということもなく「あー、ちょっといいですかねー」と中年警官に声を掛けられ足を止めイヤホンを耳から外した。「ちょっと事件がありましてねえ、お尋ねしたいんですが」と中年警官が言う。嘘だと思った。「ご住所はどちらです?」と裏紙のような紙切れとボールペンを手にした中年警官にどのような事件があったのかこちらから訊く前に尋ねられた。これが職務質問というやつか!と初めての職質にわくわくしながら住所、氏名、生年月日等を正直に答えた。実際どこでボケていいのかわからなかった。
「こんな時間にどこへ行くんです?」と中年警官が言うので「銀河鉄道に乗って機械の身体を手に入れに!」と言いたいところだったのだけれども「そこのコンビニまで」と普通に答えてしまった。すると続けざまに「ああ、そうですか。で、今までどこに?」と訊かれたので頭の中に『アリバイ』の四文字が勢い良く踊り始め「0:00丁度の特急踊り子号で伊豆まで行って乗り換えて・・・」というような西村京太郎的な火曜サスペンス系のアリバイを拵えたかったのだけども鉄道及び路線、時刻表には疎いもので「会社で仕事してました」とまた正直に答えてしまった。にも関らず中年警官は「ああ、会社で飲んじゃって?」とすっとぼけたことを言うので「いや、ふつうに仕事ですけど」と甚だ遺憾である旨を示した。状況が一変したのはその直後だった。
「お仕事はなにをされているんです?」という問い掛けに、自営業ですと言うつもりが素で間違えて「自由業です」と言ってしまった。その瞬間、脇から足元を照らしていた若い警官の持つ懐中電灯の白い光がおれの顔面に向けて照射された。中年警官の顔を見ると訝しげな表情をしている。慌てて「あ、あ、自営業です、自営業」と、おれはなんにもやってないっス!みたいな取り繕い方で中年と若い警官の顔を交互に見たりした。中年警官は「で、どんなお仕事をされているんです?」と疑り深い眼差しを向けてくるので「弁護士を呼べ!」と憤慨したい気持ちでいっぱいになりながら、麻薬の密売とマネーロンダリングですと正直に答えた。すると初めて若い警官が口を開き「どうして歩いているんですか?」と言うので中年警官の弛んだ腹をチラ見しながら「もう夏も近いし身体を締めようと思って。尻とか腹とか弛んでて水着になるのカッコ悪いし迷惑じゃないですか(原文ママ)」と言った。精悍な若い警官は「ああ、ウォーキングですか」とニコニコしていたが中年警官はイノシシみたいな顔で興味なさそうな感じだった。
その後ポケットの中を確認され、往来で衣服を全て脱がされ四つん這いにさせられて肛門の中をひとしきり調べられたあとでようやく解放された。耐え難い屈辱にまみれたおれはいま復讐のためにショットガンを片手に警察署の前にいる。というようなことはなく、職務質問て案外どうでもいい感じというか、初っ端にパスポートを見せろとかどこの国から来たとか言われるのかなと思ったけどそうでもなかったので奴らの目は節穴だと思った。