合鍵屋はじめました

会社の空き部屋を使って新しい商売を始めることにした。如何様な商売が儲かるのか見当もつかなかったので黄色い表紙の職業別電話帳で世間にはどんな商売があるのか調べてみたら一番に『合鍵』とあったのでこれも何かの縁かと思い早速合鍵屋を始めてみた。
とはいうものの合鍵屋を始めるにあたってどのような設備が必要なのか、また、法律的な資格を有する必要があるのかも知らないので、手に負えなければ本職に頼むことにして適当な研磨機を机に置いて後は成り行き任せでやることにした。早速客が来た。若い女性だ幸先が良い。通常の合鍵屋なら余計な会話やプライバシーに踏み込むような話は避け、極めて事務的に「うむ」とか「了解した」とだけ告げて後はじりじりと金属片を研磨機に当てて作業をするところなのだろうけれども、こちとら腕のないモグリの合鍵屋であるので寡黙な職人であっては商売が成り立たないのである。斯様な事由からまずソファへ掛けてもらい甘い匂いのする茶を淹れたりなんかして談笑しながら合鍵が必要に至る経緯を聞くなどして、こう、セラピスト的な?スピリチャルかつファンタシーな合鍵屋を目指してゆくこととした。世間はいま疲れておるのだ。
はじめは緊張した面持ちであったが「このまえプリングルスっていう芋を揚げた菓子を食ってるときにパッケージを眺めてたら、ほら、P&Gっていう会社あるじゃない?あれ『プロクター・アンド・ギャンブル』っていう名前の略称だって知って、ギャンブルって博打じゃない?凄い名前だなあって思ったんだよね。でもそれ人の名前だったからなーんだって思ったんだけど、人の名前でもギャンブルって凄い名前んだよね。なんか子供の頃とかさ朝起きたら「目玉焼きor玉子焼き」とか紙切れが置いてあってダイニングテーブルに座ってお母さんに「目玉焼きで」って言うとお母さんがオーブンをがちゃんて開けてそこに玉子焼きが入ってるわけ。そしたら座ってる椅子の下の床が抜けて地下牢に一日中入れられたりしてさー」などと話していると随分と緊張も解れた様子というか解れすぎて彼女はソファで眠りこけてしまっていた。なんと失敬な女であろうか。
この際であるので彼女の鍵穴の具合を自前のキーで確かめてみようと思ったのだが、それは事に依ると犯罪になるやもしれんので奴隷商人を呼んで50万円で売り飛ばした。いまごろマカオかどこかで薬漬けの娼婦になっていることだろう。元気でいるといいなと思った。
つられてうとうとしている最中に酷い夢を見た。あのう、すみません、と若い女に揺り起こされなければ東南アジアの黒社会で生きてゆく羽目になっていた。居眠りを詫び気を取り直して合鍵を求めるに至った経緯を聞いてみた。無論プライバシー保護のために音声は変えた。付き合っていた男に愛想が尽きて別れ話をしてみたところ逆上し暴行されたそうだ。主に膀胱のあたりを重点的に暴行されてぼっこぼうこうらしい。できることなら引っ越したいのだがいま住んでいるマンションは会社で借り上げている社宅なので格安の家賃で暮らしており、そこを出て小洒落たマンションに引っ越すとなると敷金礼金や正規料金の家賃を払わねばならず、そうなると衣服や靴や鞄だとか流行の家電製品やら飲食交際費に回す銭がなくなりそんなことではお洒落に生きてゆかれないので、ひとまず緊急避難的に錠前を交換したので合鍵を所望している次第であるという。話の辻褄が合っているようなそうでないような具合であった。
なるほど。と言って一呼吸置いて「では明後日お越しください」と告げて若い女を帰した。翌日近所の合鍵屋に預かった鍵を持っていき合鍵を2本作ってもらった。それから職業別電話帳を使って片っ端から錠前屋へ電話を掛け、彼女のマンションの錠前を取り替えた業者を探し出した。次に彼女の友人等を頼って逆上男を探し出すと2本作った合鍵のうちの1本を渡した。あとは錠前業者に彼女が住むマンションへ足繁く通ってもらえば我が合鍵屋は安泰なのである。