ゾンビー・パンク・エピゴーネン

いま、休日にも関らず惰眠を貪ることを放棄して会社に赴き大事な大事な仕事をしている最中にこうして仕事を遂行するパソコンとは別の小さいパソコンのモニター向かってぺしぺしと日記を書こうとしているのであるのだけれども、この時間、いま、ほれ、「いま」とキーボードを叩いた時間というのは、大事な大事な仕事をする代わりに費やされているもので、大事な大事な仕事をすればいくばくかの米や味噌醤油が買える金銭を受け取ることができるし、その仕事が成功すれば「おほほ、君はなかなかいい仕事をするね、じゃあ僕はこういう仕事を頼みたいのだがね」という具合に話が広がり、またいくばくかの酒や団子或いは洋菓子なんかを手にするための金銭を頂戴できる可能性もあろうかと思われるにも関らず、こうしてぺしぺしとやっているのであるから、この日記にもそれ相応の対価というかいつの日か花が咲き羽毛布団だとか物干し竿ぐらいのものが手に入るぐらいの恩恵を被る手筈を整えたものを書き記さねばならんのではないかと思うのであるが、そういったものがどうやったら他人様の財布から捻り出されるのか想像もつかないので、だったらこの小さいパソコンの蓋を速やかに閉じて大事な大事な仕事を粛々と進めるべきではないかと思うのである。でも閉じないのである。

わたしは今、どうしたらよいのかわからないままただぼんやりと、天井から吊り下げられた丸い蛍光灯が2つ付いた照明器具の中央から垂れた紐の先端にちょうど首を括っているような格好でぶら下がる茶色の小さな熊のぬいぐるみが断続的に振動するこの家に呼応して揺れる様をベッドの上に座って、じっと眺めている。びりびりと音を立ててこの家が軋んでいるのは階下でゾンビーになってしまった家族が暴れているからだ。おとうさんも、おかあさんも、おねえちゃんも、おとうとも、おばあちゃんまでもがゾンビーになってしまった。すべてわたしのせいだ。

実のところ大事な大事な仕事をなげうって書こうとしていた日記というのは、この身におこった出来事や現在の状況を鑑みて思うことなんかではなく、上に書いたような瑣末な作り話でありそいつをどうして日記と呼べるのかといえば「こんなこと考えた休日でした」と結べば日記になりうるからであるのだけれども、辛うじて日記と呼べたとしてもその作り話の持つ意味自体になんら価値を上げる理由にはならないし食う為のいくばくかの金銭の代償としては成り立たないので、いや、もう、ほうんとうに、真面目に仕事を仕事だけを見つめ続けるべきだとずっと前から思っているのだけれども、こういう糞の役にも立たないことを書かせしめる原因というかぺしぺし気分を駆り立たせているものがなんであるのかを知ればそれを封じ込めてこんなふうに寄り道をせずに一心不乱に働いて暮らしも少しは楽になるのではないかと考え至っているのであり、だからこそ、そろそろ陽も傾き始めて辺りが薄暗くなり始めようとしているにも関らずぺしぺしやっておるのである。れっきとした理由があるのである。

昨夜はカレーだった。カレーを作るのはわたしの役だからいつもわたしが作っている。おねえちゃんが結婚してこの家を出て行くまではおねえちゃんが作っていたけれど、それからはわたしが作っている。おねえちゃんが結婚に失敗してこの家に戻ってきてもその役はわたしのままだ。わたしが初めて作ったときにおばあちゃんが「おねえちゃんのカレーとほとんどかわらないよ」と褒めてくれた。それ以来誰も文句を言わなかったけれどおねえちゃんが戻ってきたときに「あんたのカレーってコクがないよね」って言われた。それからカレーについていろいろ調べて工夫をしてきたけれどおねえちゃんだけはいつも「コクがない」って言った。その「コク」のせいでみんながゾンビーになるなんて。

世の中には物書き渡世をして素晴しい物語を書いたり学術的に優れた理論を書いたり心の襞を震わせる言葉を紡いでおられる方もいらっしゃるわけで、そういったもの全ては表現であり、長い長い物語や非常に短い文の中に珠玉と呼べるような思想を滲ませているからこそ感動したり感銘を受けたりまた人類の進歩を司る情報になったりするものだと思うのであるけれども、いまこうしてぺしぺしやっている物語まがいの日記もどきの文章というのは便所の落書き同様に魂も思想もない単なる言葉遊びであるし、むしろ大便ブースの壁に極太マジックで「セックスしてえ」と書かれたものの方がむしろ魂が叫ばれていてだらだら長いばかりで要領を得ないこんなものと比べてもマシなような気がしてくる。

『肉は腐りかけがアミノ酸などの旨味成分が多く出る』ってネットに書いてあった。スーパーでおつとめ品を買えばそうなるのかなと思ったけどおねえちゃんはいつまでも「コクがない」って言った。昨夜カレーを作ることになって冷蔵庫の中にある材料を調べてたら冷凍庫にラップでぐるぐる巻きになってる肉の塊があった。なんの肉かわからなかったけれどたぶん豚だと思ってそれを使うことにした。レンジで解凍してたらちょっと緑色っぽくなったけど、どうせ炒めるし平気だと思ってカレーに使ってしまった。はじめにおとうさんが一口食べたところで具合悪くなって、おかあさんも半分食べずに具合悪くなった。おばあちゃんは途中で吐き出すし、おとうとは食べ切ったら泡を噴いて倒れてしまったけれど、おねえちゃんだけが「合格よ」っておかわりした。

表現というものはなかなか厄介なもので、身体や頭や心の中にあるものをどうあれカタチにするのが表現というものだと思うのだけれども、そもそもそこに蓄積されたものというのはこれまでに体験してきたことでしかないわけで、さあいざ表現しようとすると過去に誰かがやっていることがそのほとんどで見てくれや聞こえは違ってもどこかの誰かの焼き増しになることが多い。独創性という部分で歴史と対峙したときにその強烈な磁場から離れようとする力としては、同程度の強い力でもって反発するか、いっぺん迎合して時代という都合のよい絶縁体でもって薄皮一枚離れるかのどちらかになるのだと思う。前者である強い力というのは言い換えれば「否定」になる。どちらも選ばないのであればへらへら笑って「こんなのは本気じゃねえもん」と嘯く他ない。しかしなんと格好悪い言葉かよ。大事な大事な仕事こそが表現の場であるからこんな日記なんぞは思想もなにもないただ言葉を並べ立てただけの遊びだとのたまわってしまうことの物悲しさよ。であるなら否定すべきではないのかよファック。

みんなゾンビーになってしまった。わたしは恐くなって二階の自分の部屋へ逃げ込んでドアのところに箪笥を置いて開かないようにした。最後に見たおねえちゃんは緑色に目を光らせて笑う悪魔の姿になってた。あのとき帰ってきたおねえちゃんはもう悪魔だったのかなって今おもう。さっき二階に上ってこようとした、たぶんおとうとだと思う、が、階段を踏み抜いて壊してしまったみたいだからゾンビーになったみんなはここに来られなくて上り口のところで暴れている。おかあさんみたいな声がぐあーぐあーって叫んでる。かなしい。でもどうしてわたしはゾンビーにならなかったのかな。ちゃんと味見もしたしおとうさんが具合悪くなる前に一口か二口食べたのに。熊がだらーんとした格好で揺れている。

反抗・反発・全否定。そういう姿勢をロックだのパンクだのと呼ぶことすら歴史と迎合しているじゃないか。シド・ヴィシャスなんかにゃなりたかねえんだファック野郎め。全てを否定しちまうのは岡本太郎のパクリでしかないんだよ。肯定も否定もせずただただ木偶の坊になりたいと願うのは宮沢賢治の猿真似だ。こうなったらもう新世界の創造主になるしかないのだ。つうかなってた。俺も自分が神様だと思ったんだったパチンコで有り金全部スッちまったときに。最後の玉が台に吸い込まれちまうまで「神様お願いですからどうか777って揃えてください」ってそりゃあ必死でお願いしたけど無視された。寒い街をトボトボ歩きながら、あー、神様っていねえんだ、この世界を支配してんのは俺だけど力が足りねえから思い通りにいかねえんだって。それを次の日若い奴に言ったら「僕それ中学生の頃思ってました」って笑いやがんだよ。その割りにパッとしねえ奴だったけど、あいつもあいつで力不足なんだろう。さてこの新世界になにを創ろうか。

首吊り熊を眺めてたらなんだかとてもかなしくなって、わたしもゾンビーになればかなしくないかな、って思ってドアの前の箪笥をどかした。廊下に出て階段の上から下を見たら声はしてるのに誰も見えなかった。壊れかけの階段を手摺に掴まりながら一階まで下りていったら上り口のところにラジカセが置いてあってそのスピーカーからぐおーぐおーって声がしてた。あれ?と思ってリビングにいったら色紙で作った丸い輪を繋げた飾りとか、ティッシュで作った花が飾ってあって、家族のみんなが笑って立ってた。
「おたんじょうびおめでとー」「サプラーイズ」
って元通りになった家族がクラッカーを鳴らして誕生日のお祝いをしてくれた。おかあさんの焼いたケーキはいい匂いがして、おばあちゃんは手編みのカーディガンをくれた。おとうとはカレーの本をくれて、おねえちゃんは花束をくれた。わたしはびっくりしてうれしくて涙が止まらなくなってしまった。おとうさんはわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。

たぶん大事な大事な仕事を放り出してまでぺしぺしと書いてしまうのは、こうして都合の良いちょっとでもいい未来を、歴史に押し潰されない明日を創り上げたいがためなのだろう。充分格好悪いのは承知している。でもまあ大事な大事な仕事の表現に澱みが滲み出てしまうよりはいいかなと思うのである。なによりも大切にしている表現の場はここではないのは事実なのだから。こんなことで喜ばれるものが生み出せるのなら寄り道なんて些細なことなのだ。

その晩、おとうさんに犯された。

人生はそう甘くはないのである。仕事サボっちゃだめ。