サクセスストーリー

朝、髭を剃ろうとして電動シェーバーを人中に当てたところちりちりと刺すような痛みを感じたので思わず「うっぷす」と声を出してしまったのだがこれは別にメリケン気取りでのoopsとかそういう意味合いではなくてちょっとした断末魔的な驚嘆の声である。電動シェーバーで剃刀負けという症例もあるにはあると思うのだけれども薄皮一枚剥がされるようなひりひりするような痛みではなくちりちりと痛かったので手にしたシェーバーを見てみた。そうだった。こいつは前に手を滑らせて床に落とした際にパンチングメタルのような格好をした極薄の鉄板に無数の穴を開けた刃のカバーの端のところがめきめきにひしゃげてササクレ立つように尖っており、顔に当てるとちくちく痛いことになっていたのだった。ということをうっかり忘れていただけだった。

そういうことがあり破れかけた刃のカバーが当たらないように髭を剃るときにはちょっと傾けて使い続けていたのだけども朝というのはどうにも手元が覚束ないもので、もしも寝起きに李王朝時代の白磁の壷かなにかを手渡されでもしたら忽ちのうちに粉々に割ってしまい寝惚けたまま「桜の木を切ったのは僕です」とかなんとか平身低頭謝罪する自信があるほどで、手負いの狼となった電動シェーバーを洗面台へとごちんと落下せしめて、その結果シェーバーのカバーはちくちくに尖っていた端の反対側の端もちくちくに尖り果て単なる拷問器具と化してしまった。

これでは使えないではないか!もう一生髭伸び放題だ・・・と憤慨と落胆が胸中で一同に会し、ただでさえ忙しい朝の時間なのに頭の中は倍速再生の如くさらに忙しくなり、カップスープを一口飲んで食パンを咥え「ふぃってひふぁーす」と明瞭さに欠ける発音でもって出発を家族に告げ小走りで角を曲がったところで同級生と衝突してしまう女学生であれば、食パンを齧る一瞬を惜しんでカップスープに浮いたクルトンをそれの代用として同級生と衝突したのだがいかんせんパンの体積が小さいので体の半分だけが入れ替わりさながらアシュラ男爵のような姿と成り果てた上に一歩教室に入れば右半分が「おれあの娘とチューしたい」左半分が「わたし彼になら抱かれてもいい」などと喧々諤々の言い争いを始めてしまうほどの忙しさで、とにかく電動シェーバー問題は慌しい朝を土石流のような勢いでさらに加速させるのであった。

かくして髭を剃り損ね続けた挙句に晴れて無精髭の中年が出来上がるのが世の常であろうが、髭というのは人間の格を現すような意味合いもないわけではないのでこの際だからいっそ髭を生やかし続けて中身はともかく外見だけでもお偉いさんになってみようかしら、何事も中途半端はよろしくないだろうし、いっそのこと口髭をぽっこり蓄えた文豪を気取って偉そうな能書きでも垂れてみよう、口髭が得体の知れない説得力を醸し出してコンセンサスを得られるようになれば小銭が懐に入るやもしれん、くしし、と思い至り三日ばかり剃らないでいたのだが世の常というのは世の中の大半がそうなるわけだから常と呼ぶもので、あまりに見苦しい面を毎朝鏡の向こうに拝まなければならない羽目になり、意を決して拷問器具を慎重に肌に当ててじょりじょりと口髭を剃り落とした。使ってないが「サクセース」と叫びたくなるほどさっぱりした。