麺が伸びきったカップラーメンみたいな日記

ちょっと前から思ってて昨日の日記を書くときも思ったんだけど、なるべくシモの話は書かないようにしようした。結局書いちゃったんだけど、それってなんなんだろうなって思って少し考えてみた。たぶん僕が書く日記のシモの話とか飲み屋の話っていうのは化学調味料みたいなもんなんだ。スパイスなんて気取ったもんじゃなくて、とりあえずアジノモトかけとけみたいな感じで簡単に味が整えやすくなる(っぽい)。それは他人の日記を読む場合も同じ感覚で。
そんなふうに日記のことを食い物になぞらえて考えてみると、テーマっていうか主に書いておきたいことが主原料っていうか原材料なわけ。それが新鮮なら刺身みたいに生でオモテに出せるんじゃないかな。結婚しましたとか子供が産まれましたとかペットが死んでしまいましたとか会社が潰れましたとか。けれど所詮はWEB日記なわけだし現実に目の前で心を振るわせる出来事が起こってるのにペチペチやるわけにもいかないから、書くまでに時間が経過していく。となると煮たり焼いたりするわけよね。味付け(脚色)もしたりするだろうし。
日記然とした日記を毎日書いてる人は味付けとか意識してないかもしれないけど、曲がりなりにもWEB上で公開しているっていうことは誰かに読まれることを意識してるはずだから伝えようとする力が加わってるはずで、それこそが食い物っぽいところっていうか『飲み込みやすいように』調理されてんだよね。で、ダシ的なものっていうのはその人の歴史っていうか体験からしか出ないと思う。たとえ瑣末なことが書かれている日記だとしてもそこから滲んで出てくるその人の人生みたいなものがあって、たとえば恋愛の日記なんてのはデミグラスソースみたいなもので、いろんなことを体験してきた人がする恋の話っていうのはそれはもう濃厚で複雑な味がすると思う。ああしたいこうしたいって頭の中だけで済ませてきちゃった人の場合はせいぜいがケチャップに中濃ソースを混ぜたぐらいの深みしかない。よく言うじゃん「しょっぱい」って。
あと、味付けの方向性みたいなのは日記書いてる人の主観なんだろうけど、受け手のベロの当たり所っていうのが関係してくるんで、味噌味のつもりで書かれたものが醤油味として読まれることもあると思う。それは受け手がゴクンと飲み込んだ瞬間に割と意味を成さなくなるから、むしろ柔らかく煮込むとか一口サイズに切るとかそっちの方が大事だと思う。そうはいっても心が揺さぶられるような独白みたいなのはその気になって齧りつくから勝手に飲み込めるんだけど。

なんだか最近は塗してある粉の味がカレー味だコンソメ味だとかそんな感じの日記が多いから、もうちょっとこうハマグリのお吸い物みたいなのが読みたいし書きたいなと思った。それで今日の日記はなんなのよといえば、麺が伸びきったカップラーメンみたいな日記だから困る。