プライマル

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~の中でリリー・フランキーが『始まりたくない』と書いていたのが凄く印象に残っている。というのも僕もずっと始まりたくないなと思っていたから。ギリギリまで物陰に隠れて自分が誰で何を成し得るのかを知られたくなかったから。彼の場合はどうなのかわからないけれど僕の場合はその知られたくない相手というのは他でもない自分自身で、夢見がちなロマンチストであるところの僕なので自分の限界を知ることが死ぬほど恐ろしかった。知るというか認めるというか。とにかく僕は空が飛べるはずだった。
拠所ない事情によりオモテに立たされる羽目になり、否応なしに自分の能力を認めざるを得なくなったとき、そりゃもう胃に穴が開くほど思い悩んだし、泣きたい夜だって何度もあった。けれども悩んだところで死人は甦りはしないし身を隠しては生きてゆけないので渋々腹を括り世の中に出た。意外にも世の中の人々は僕のことなんか構っちゃくれなかった。あんなに恥しがっていたのが馬鹿みたいだった。なんていうかみんな自分のことで必死なのだった。
『始まりたくない』と思っていた僕だったけれども、これまでにしてきた仕事を振り返ればそれなりに向き合ってやってきていたのだから、その結果を他人に「こんなもんか」と言われれば「こんなもんだ」としか言い様がないだろうと開き直った。さっき。つい今さっき。
まだキチッとモノが見られる状態じゃないから彼の仕事に対するあれこれを言うのは時期尚早なんだけれども、その姿勢っていうか取り組みについては掠れてしまう前になんか書いておきたいと思ったから書くんだけど、僕ですら言葉にできなかったグワァーっとしていてモヤモヤしたものをちゃんと感じ取ってくれていた。その『邂逅』に驚いた。なんていうか数年前に僕が放った情熱が現在の彼に届いたというか。これにはビリビリきた。喩え方が多少大げさだけれども。
誰かに何かを伝える行為っていうのは「的確」と思われる言葉や態度をもってしてもなかなか難しいもので、真摯に伝えようとするその姿勢っていうのは、いるんだかいないんだかわからない神様に向かって『祈る』っていうことに似てるような気がする。そしてそれが届かないこともないということを知って僕は始まっててよかったと思えた。また話が壮大だけども。

そんなこんなで、空は飛べないけれど僕のロマンチックはとっくに始まってて終わらないのだ。