続きを読むの続き

迷い道に入り込んだからってあんな日記書いちまって明日きっと後悔すんだろうなって思いながらも、それでもまだ生きるってどういうことだろうってしばらく考えていたんだけど、なんていうのかな、言葉に惑わされすぎているなあって思った瞬間にふっと答えが見つかった。できることなら映画『マトリックス』みたいな感じで頚椎のあたりにケーブルを差し込んで、直に電気信号で伝えないと伝わらないぐらいのあやふやなイメージでしかなくて、こう、散らばったものを一つに集約したんだけどイビツな形をしてるというか、まあなんつうかヘッポコなおっさんが考えたヘッポコな答えなので言葉にするとヘッポコなのだと思う。そんで、僕が見つけた「生きるってなんだ」という問いに対する答えは「考えなくていい」だった。えーと、僕たちはすでに生まれていて、生きているのだから生きることについて考えなくてよくて、こうやって深夜にわけのわからないことをほざいていることすら「生きる」っていう行為?の中に含まれていて、どうやって生まれてきたのかよくわかんないのと同じでどうやって死んでしまうのかもわからなくて、生きているのか死んでいるのかの定義っていうのは、その場面場面で変化するわけで、「僕の中で生き続ける」みたいな言葉があるように認識するかどうかなんじゃないのかなって思う。僕たち全ての生きているモノっていうのはなんにもないところから突然現れる。こう、保健体育的に言えば精子卵子が、っていうことになるのだろうけど、そんなんじゃなくてというか、そうなんだけど、あー、こうさ、ビックバンなんだよね生命っていうものが。いきなり爆発するの。そんでひょっこり現れるっていうかさ。さっきの生きるとか死ぬとかの定義のことを言えば、お母さんのおなかの中に卵みたいなものができるわけじゃん?それがもうすでに命なわけで生きているわけで、そんなものを生きてるか死んでるか考えるのは時間の無駄っていうか、それはもうどうしようもなく生きてんだよね。バリバリ生きてる。お母さんの子宮の中で爆発したの。魚とか植物も同じで、理屈でいえば種みたいなもんから生まれるんだけど、その、なんつうの、種なんかほっとけばいつまでも種だけど、そいつが爆発して命になるわけでさ、こう、爆発なの。ボカーンて。ドカーンて。爆発したんだよ僕たちは。生きるっていうのは爆発したってことなんだよ。