キザな花束日記

小雪が舞ったり止んだりしていた夕暮れに花屋へ行った。小雪は、ほんとうは年下が好きだったのになあと、おっさん心をくすぐる魔法の言葉を使うので、うっかりすると街中の角瓶を買い占めてしまいそうになる。車を停めて花屋のショウケースに飾られたゴールドクレストシクラメンポインセチアを眺めると、クリスマスムードがいよいよウンカの如く攻め込んできたと実感する。世間の勢い乗じて暇つぶしに花屋の娘に恋をしたなら、どこに行きましょうかって僕を見るその目が眩しいのだろうか。コートのポケットに手を突っ込んだまま花屋の門を叩いた。たのもう!と声を張り上げると娘と呼ぶには少し時が流れすぎた花屋の(元)娘がいらっしゃいませーと出迎えてくれた。店の入り口付近には色とりどりの薔薇の花が銀色のシャンパンクーラーのような容器からニョキニョキと顔を出している。薔薇って漢字は読めるけど書けない。

昔、虎の子の小遣いで買えるだけの花束を買ってプレゼントしたら、花束って累々たる屍よね、と言われたことがある。だからわたしは小さくても鉢植えがいい、とその人は言った。当時はなにかこうシャガールの青い絵のような不思議な感じに納得したけれど、今の僕がそう言われたなら首から下を土に埋めて顔に小便ひっかけてやるだろう。贈り主が誰であれ花束を贈られたなら満面の笑みを浮かべて、いよいよとなれば頬を朱に染めて、ありがとう、って言うべきだ。男が、少年であれおっさんであれ、花屋で花束を買うっていうキザすぎる行為に身を投じるという心意気を認めてやるべきだ。花束を持って街をゆく男っていうのは、キッスの際に必ず顎を持ってくいっとやりそうな気配を醸し出すほどキザだ。言うなれば白いバスローブとブランデーグラスなほどキザだ。夜景を宝石箱と呼ぶほどにキザだ。魅惑のバリトンヴォイスで、ジュテーム、とかなんとか愛を囁くほどにキザだ。ギザキザす、だ。そんなキザ野郎になるっていう気恥ずかしさをわかってるのか。なにが屍だ。このおかちめんこめ。うわーん、おかーさーん。

コートのポケットに手を突っ込んだままうつむき加減で花を選んでいたら、さきほどの(元)娘ではない本来の娘がやってきて、プレゼントですか、と僕に問うので、うん、プレゼントなんだけどキザっぽくないようにしたい、と脳内がだだ漏れの返事をすると娘はくすっと笑って籐の籠に入った寄せ植えを勧めた。それ花束じゃないじゃないか、と思ったけれどもなにも花を贈るのに花束である必要はどこにもなくて、もしかしたら僕はキザに見られるのが嫌なんかではなくて、花束を抱えている姿を街往く人たちに見られて、あの人ったらきっとあの花束を渡すときにどんな綺麗な花束も君の美しさには敵わないとか言うのよ、なんていうふうにむしろキザに思われたいのかもしれないと思った。そんなキザ問答をするのに勝手に疲れ果てて花を選ぶ余裕もなくなったので、じゃあそれでいいです、と娘に言った。籠をラッピングするのを待っているあいだにカードにメッセージを書き込んでそいつを水色のリボンと一緒に籠へ貼り付けてもらった。カードは文面が丸見えなものだったけれど、キザな野郎がキザな文句を添えるとしたら二つ折りでないとキザワールドにならないのではないか、いや、歯の浮くような台詞を衆目に晒すことを厭わないからこそキザがキザたりうるのかもしれない、などとまたキザ問答が始まってしまったのでそそくさと代金を払って娘に礼を言い花屋を後にした。

花屋の目の前に停めた車へ足早に駆け寄り滑り込むように乗り込んだので、結局街往く人たちにキザっぷりをアピールすることはなかった。臆面もなく花束を持っていられるようなキザ野郎になるにはまだまだ修行が足りないと思った。