真っ暗闇で見る光はたぶん綺麗なんだろう

ここんところ簡単なことを難しく考えがちだったというか、感じていることと違う意味を持たせようとしてたっていうか、どうでもいいようなことの言い回しを代えて幾分立派に聞こえるようなことをしてみたりと、感情の粉飾決算のような毎日を送っていた。あと、事象における真理っつうか定理みたいなものを気にしすぎて勝手に辟易してみたりしてた。決して科学を否定するわけではないけれど、世の中の仕組みなんて『知りたくない』と思ってるフシもあるから、虹の色はどうしてあの配列なのかみたいなことを説明されんのが嫌で仕方なくて、いいじゃんか見たまんまで、虹が見えたら綺麗だなあで充分なんだよとか思うのだ。空の青さの仕組みを理解した上に空を眺めたときの青いなあという感情が乗せられないのだ。詳細説明の後に続く感嘆符なんてのは深夜のテレフォンショッピングに挿入される「えー!」っていうSEぐらい嘘臭いんだ。

というわけで飲みに行ってきたのだけども昨夜のオンナのコは凄かった。おっぱいが。博多からやってきたというそのコのおっぱいは丸くて大きくてバレーボールのようだった。あれだ、バレーボールっていうのは競技の名前だから、バレーボールのボールだからバレーボールボールだ。略してボインだ。そして、このおっぱいの単純さがスバラシイと思ったのだった。なにも難しいことが差し挟まれなくて、ただ目の前のボインを眺めて丸いなあとか大きいなあとか柔らかそうだなあとか思うだけでいいのだ。しかしあまりにも目がいくので「どうしてもおっぱいに話しかけちゃうよね」と言うと「わざと強調するような服を着てますから」と本人もわきまえていたのでしばらくおっぱいと語らった。おっぱいはそこでボイーンと佇んでいた。

同行者が店を出たあとどうするかと聞くので、このまえ赤い服の人と飲んだモツ屋に行こうかという話でまとまった頃、ボインが興味を示してきたので100%の社交辞令と消費税5%分の下心で店が終わったら来れば?と言った。そしたら携帯の番号を教えてくれと具体的なことを言うので瞬間的に消費税が大増税になりかけたのだけど、そこはもういい歳のおっさんなのでさして興味のないふりで箸袋にサラサラっと携帯の番号を書いて、ボインの隙間に挟んでやった。あと「来なかったら店に火点けてやるからな」と申し添えるのも忘れなかった。

そんでモツ屋は休みだったので帰って寝た。携帯の着信履歴を見たらボインから電話が来てたっぽくてその電話を受けたっぽいのだけど会話の内容をなにも覚えてない。たぶん「またお店に来てくださいね」っていう感じの営業電話なんだろう。そんなふうに状況を把握しているっていうかロジックが見えている状態だと感情の波ってのは脈の弱い心電図のように平坦なのだよね。