阿弥陀如来も妬くほどに

よく晴れた日曜日、通り雨が風を運んできた。葬儀屋が慌しく祭壇を飾り付けている間、家族や親戚一同が控え室に集まって茶を啜り「ここにいないのが不思議だね」なんつってぼんやりとした虚脱感に包まれる。昨夜まで棺桶に入れられていた肉体はすでに焼かれて骨壷に納められていて、もうその姿は記憶の中でしか触れることができず不在感は強まる一方で、五感から切り離されたことによって悔しさ混じりの喪失感はいくぶん弱まる。やがて葬儀の担当者がやってきて葬儀のタイムスケジュールなんかを淡々と説明していく。告別式に向けて早めの昼食をとり終えると弔電を読み上げる順番なんかを決めていって束の間のぼんやりとした時間が終わり、また慌しく葬儀の時間の流れの中へ引き戻される。その忙しさが明日から始まる毎日へ哀しみを持ち込まないためのろ過装置のようなものになっている。そんな気がする。
告別式の開場時間まで30分となったあたりで、予定があって忙しいのか単にせっかちなのか黒い服を着た人たちがチラホラと集まってくる。受付のテーブルの上におかれた漆塗りを真似たプラスチックの盆の上に香典袋を置いて「このたびはモゴモゴ・・・」とか「お悔やみ申しモゴモゴ・・・」と語尾を濁して頭を下げる。「ご丁寧にありがとうございます」と受付係は言って後ろから会葬御礼の緑茶が入った紙袋を手渡す。手荷物を係りに預け、祭壇に向かう通路の脇に整列している親族に声を掛けたり頭を下げたりする。親族との距離感はそれぞれで誰かに言葉を掛けたり家族を前に涙を流す人もいれば何かそういう機械であるかのように無機質な感じで頭を下げつつカクカクとした動きで焼香台まで足早に通り過ぎる人もいる。

開場の時間を過ぎると黒い服の人たちが連なるようにやってきた。一人の女性が親族の前を足早に通り過ぎた割りには遺影の前で合掌したまま啜り泣いて動かなくなってしまった。彼女が5つある焼香台のうちの1つを占拠してしまったので、銀行のATMかなんかで機械操作に鈍い人がいてその列だけ詰まってしまって全体の流れが悪くなるような感じで黒い服の人たちが渋滞し始めた。すると今度は一番端で啜り泣いてる彼女の反対側の端の焼香台のところをまた別の啜り泣く女性が占拠してしまったので人の流れは一層停滞した。仕事の義理で来た顔もよく知らないような男性が喪主の前で立ち止まる破目になりバツの悪そうな顔をしている。

やがて真ん中だけを残して4つの焼香台が啜り泣く女たちに占拠されてしまって黒い服の列は式場の外にまで溢れるようになった。見るに見かねた葬儀屋の係員が一番最初に動かなくなった女性に声を掛けようと近付こうとしたとき、彼女の後ろに並んでいた啜り泣く女性たちと似たような感じの女性が「あんたいい加減にしなさいよ!」と痺れを切らして声を上げた。啜り泣いていた女性は後ろを一瞥すると再び前を向き直り今度は遺影を見てうわんうわん泣き出した。何かの合図だったように焼香台を占拠していた女性たちが皆声を出して泣き始めた。泣き声は式場内に伝播してあちこちで泣き声が上がった。女性たちは泣きながら前に並ぶ参列者を追い越してどんどん祭壇の前に集まってきた。それ以外の者達はその光景に驚きただ見ている。

祭壇の前は大混乱で女たちが押し合いへし合いしている。「あんたなんなのよ!」と叫び声が上がった。「あんたこそなによ!」「いい加減にしなさいよ!」「部外者は帰れ!」怒号が飛び交い騒然となってきた頃、遂に手が出た。祭壇に飾られた生花の束を引き抜いて女が女の顔に叩き付けた。叫びながら髪の毛を掴んだり黒いポーチで殴り合ったりし始めた。一人の女が香炉を投げつけ、火種の炭が当てられた女のスカートを焦がした。騒乱は収集がつきそうにないほど激しくなってきた頃、輪から外れたところにいた女がそろりと骨壷に手を伸ばした。目敏く見つけた女が祭壇を駆け上って奪い合いとなった瞬間、今度は遺骨の争奪戦が始まった。「喉仏はわたしのものよ」とか「その骨盤だけは取らないで」とか「あんたなんか脛がお似合いよ」とか部位に拘る声まで聞こえる。誰にも渡すまいとその場で骨をボリボリと噛んで飲み込む者まで現れる始末。位牌はヘシ折れ遺影は裂かれ式場は狂乱の女たちに乗っ取られる。

床に落ちてビリビリに裂かれた遺影はにっこり笑う俺。そんな葬式もいいなあなんて思った。