あの頃はまだ純真無垢だった(今でも)

ぼんやり上手 蛭どきにっぽん列島(田舎の話)
これを読んで甘酸っぱいもの(胃液)を思い出したので書いておく。
ボクらが登らされたのは駒ヶ岳で山頂が2900mぐらいで山小屋が2600mぐらいだったのだけど、その昔、中学生たちがやっとのことで登ったら山荘が火事で焼けちゃってて泊まれないもんだから下山することにしたんだけど遭難して30人ぐらい死んじゃったとかいう話を事前に聞かされてて、行くも地獄戻るも地獄みたいな悲痛な状態で登らされた。で、おっしゃる通り2週間ぐらい前から通学カバンがリュックに変えられた。ご丁寧に5kgの砂袋がもれなく支給されてそんなのを毎日担いで学校行ってた。階段はどうだったか覚えてない。実際登ると各クラスの5%ぐらいは高山病になって山小屋で日の出も見ないで唸ってた。そういうのサボったりするのって羨ましいとかふつう思うところだけど、あまりにも生死の境目が近くに見えるものだから全然羨ましくなかった。で、今になってみると早く寝かせる方便だったのかなって思うのだけど先生が「山小屋はおばけが出やすい」って言うものだからほっといても女子は恐いとか言って同じ部屋にきた。なんだけど、足が痒くてたまらなくて(ダニ?)布団に入ってられないから泣く泣くホールみたいな寒いところで座ってたのでウノとかやんなかった。なんだけど、違うクラスの子がそこへやって来て気分が悪くて寝れないだか頭が痛いだか言って一緒に寒いところで座ってしばらく話してた。おばけ出てキャー!とかなってムギュみたいなの期待しつつ。見透かされたのかちっとも出やしなかった。
じゃあそろそろ寝ようかって部屋に戻ろうと立ち上がったらシャツの裾を引っ張られて、その子の方を見たら目を瞑ってなにかを待っているみたいだからボクはそっとおやすみのキッスをした。あー今嘘ついた。裾捕まれてないし。でもみんなこういうの好きだよね。キューンてしちゃうんでしょ?しねーか。
翌日は暗いうちに叩き起こされてすごく尖ってるところまで登って朝陽を眺めて山小屋へ戻って下山。いい加減くたびれてたけど例の遭難話があったから下りるの早い早い。暗くなったら死ぬぞー!みたいな感じだった。
思うのだけど、標高2900mつったってスタート地点というか暮らしてる地面が600mとか800mなんだから実際2000mぐらいの高低差なわけで、その高さなら案外それほどでもないんじゃないかと。そんで、地球温暖化で北極だか南極の氷が解けると海面が300m上昇するとか言うけれど、そういう海抜600mあたりの人にとっちゃ痛くも痒くもないというかむしろ海が近くなっていいやみたいな感じで喜んでんじゃないかと思ったり思わなかったり。