リンダリンダ 第二話

十柱戯場の屋内駐車場から表へ出ると辺りはすっかり薄暗くなっておりいよいよ晩飯の頃合になったのだが、今回の一件について漫然とした段取りで臨んだのでどこの店で何を食うのかを全く決めていなかった。ぎゃふんぎゃふん。とはいえ最寄の海まで最新型高性能舶来スポーツカーで速度超過の蛮行に及んで駆けても2時間以上かかるこの街の寿司屋の暖簾を潜ったところでさして感動らしいものは去来しないであろうことは明白であり、ならば地の物でも食わせようと思った。とはいえサライなんかに掲載されるような拘りのある店というのは往々にして店主の灰汁が強く「飯は旨いのだが居心地がどうもねえ」と暗澹たる気持ちでぼそぼそと根菜類を咀嚼する羽目になりかねないのでこれも強くは勧められない。しかし、AさんはBさんを好きだけどBさんが好きなCさんをAさんは嫌いなのにCさんはAさんが好きでBさんが嫌いでBさんはCさんのAさんに対する好意に嫉妬している、というような七面倒臭い相関図すら成り立つ人間関係を推測することは難しく、店主の人柄を選考基準に据えていいものかどうか悩んだのだが、あすこの店主は話がクドいから僕が面倒臭いことになると判断を下し、牛や豚の臓物を焼いて食べさせる店へ行くのだと勝手に決めて鼻をふんふん鳴らして漫然と車を走らせた。

市営の駐車場へ車を停め少し歩いて店にそろりと入る。客は我々の他に1人だけしかおらず運良く石油ファンヒーターの近くに座れたので防寒に関しては心配せずに済んだ。細長い店をさらに細長く半分にした片側にある厨房というかカウンターの向こう側の壁面に取り付けられた吊戸棚の扉に吊り下げられた品書きの札、言わば吊り吊り札のいくつかが裏返しになって白木の肌を見せている。是即ち焼き物メニューのいくつかが品切れを示しており、証言台に立って宣誓の後に言うとなると自信が揺らぐのだが、ギアラとチクワとコリコリ、テッポウあたりが食べることが叶わなくなっていた。ひとまず飲み物と串焼きとモツ煮込みを注文して、ぐへーだかぶわーだか十柱戯の疲れを振り払う念仏的な、風呂に浸かった直後にふひーとか漏らす溜息のようなものを吐き出した。ややあって飲み物が眼前に置かれたので何某か歓待の言葉を述べて乾杯をした。乾杯をしたといっても中華民国の作法に則って杯というか、この場合はホッピー用のグラス、に注がれている飲み物を全て飲み干したわけではなく一口ちゅるりと喉を通してまた、ぐはーだかぶへーだか溜息のようなおっさん臭い無意味な声を漏らすのであった。

いい加減この文体も話の超低速進行にもくたびれてきたのだが我輩を文豪気取り足らしめているのは此れ以外には何もないので自己陶酔の限りを尽して話を続ける。

臓物屋では串刺しにされて焼かれた臓物をぐにぐにと貪り自動車と音楽と映画と樋口可南子について語らった。語らったった。我々三回転ないし三回転チョイのおっさん世代はスーパーカーブームの残滓にまみれた世代であり自動車についてなかなかの一家訓を持つ者が多数見受けられる。ところが自家用車となると予算やら実用性がロマンチシズムに重く圧し掛かり家訓など忘れてロマンに対する無法者とならざるを得ないのだが、中には諦めの悪い連中もいて、そういう輩は実用性には目を瞑り手の届く範囲でロマンチシズムを具現化してしまう。そうして手にした自動車というのは往々にしてやはり実用性に乏しく苦労話も枚挙に暇がなくやがて訪れる廃車手続きの後に、心を入れ替え堅実な車に乗り換えるものだが、それでもしぶとい野郎はロマンに一途で痩せ我慢の限りを尽すのである。斧寺君の自動車遍歴を聞き自動車に対する偏執的な唐変木であることを知り得てキヒヒとほくそ笑み、カルボ飯という銀舎利にカルボナーラ風のソースをかけたものをじくじくに熱せられた石の器で食すリゾットのようなビビンパのような食い物をまむまむ食した。

腹も膨れたことなので臓物屋を出て寒風吹き荒ぶ街に出た。まだ寝るには早い時間であったのでもう一軒どこか暖の取れる店に寄ろうということになりというか勝手にそう決めて歩き出したというか斧寺君が前々から日本語が不自由な外国人女性に興味のあることは知っていたのでそういう女給が接客をしてくれる店へ脇目も振らずに一目散に競歩選手さながらに歩を進めた。雑居ビルの2階の自動ドアーがぐいーと開くと「イラシャイマセー」と片言の日本語で出迎えられ、促されるまま着席すると斧寺君の隣には色々な部分のメッキが剥げかかった妙齢の比律賓国の女給が座り、挨拶もそこそこに指を絡めてご満悦の様子であった。僕の隣には線の細い女給がやってきて「アナタ、オキナワノヒトカ?」とのたまった後に「ドノオンナノコイイデスカ?」と何度も尋ねてきたので「わかんないよ」と都度返事をしていたら「アリガトゴザマース」と自動的に指名料が課金された。詳しくは知らないのだが比律賓人の顔の造形には西班牙の血が見て取れる顔とそうでない熱帯雨林を彷彿させる方がいて、僕の隣に鎮座めします愛子と名乗る女給は後者の造形であり、ややもすると伊太利亜ACミランというフットボールチームに在籍する伯剌西爾人選手ロナウジーニョさんの面影すらあったからかどうかは判らないがあまりその店の記憶がない。唯一の手掛りは愛子ジーニョから送られた『愛子です よるすくお願いします』というメールと指先が覚えたパットの感触だけである。

つづく(たぶん)(わかんないけど)