リンダリンダ 第一話

土曜日。余程の事由がない限り欠席するなど言語道断である新年会が予定されておったので万難を排してこれに出席した。ステージで晴れやかな笑顔を見せて新年の挨拶をする遠縁にあたる地元の名士が場を温めようと発した一言が、存外に出席者の一人に牙を剥いて温めるどころか怒り心頭な温暖化現象をもたらした。とはいえ一族郎党の領袖に向かい「貴様、先の失言まかりならん」と苦言を呈する者もおらず、自浄作用よろしくそれは「なかったこと」として宴は恙無く進行していき、ぼたん鍋や栄螺の刺身などを食らって「うほほ、うほうほ」などと喜んでいるうちに中締めの挨拶があり、〆のうどんをようやく鍋に入れたところで他の出席者は「うどんのような瑣末な食い物などに興味はないでおじゃる」と言わんばかりにそそくさと席を立ち、ようやく煮えたうどんをはむはむ食していると気付けば遭難者のようにポツンと会場の真ん中に取り残されておった。慌てて上着を羽織り、いや、ども、ええ、ほほ、ごめんくださいと、平身低頭、腰を曲げたままガウォークの体制で会場を後にした。
茶の間で炬燵に入ってうかうかしていたら約束の時間が迫ってきたので斧寺君にメールを送り、高速バスの乗降場まで迎えに行く段取りをして暫しうかうかテレビなどを観て過ごした。やがて時間となったので車に乗り込み指定の場所へ着くとまるで計ったようにバスがやってきたのでジャストオンタイムであると一切の無駄がないやりくりにご満悦であったのだが、そこでまた計ったように携帯に仕事の連絡が入りやってきた斧寺君に声を掛けるタイミングを失いつつ、通話の相手に指示などを出してビジネスマン風情を醸し出したりする間に彼と妙な具合に見詰め合ったりなんかしてこの気味の悪い図をビデオカメラで撮影して編集時に小田和正の「ラブストーリーは突然に」あたりを挿入したりなんかしたら相当気持ち悪いだろうなあ、くはは、などと思い身震いするのであった。ややあって通話を切り上げ「やあやあようこそのお越しで」かなんか歓待の挨拶を済ませて車に乗り込み一路コメダ珈琲店へと車を走らせるのであったのだが、実のところその車というのは自動車販売店から借り受けた代車というものであり、普段乗っている黄色い屋根のない車は年末に壊れてしまっていたので、屋根のあるその代車は暖房の効きが良くむしろ快適であった。
コメダ珈琲店では斧寺君と合い向かいに座り公園の鳩であるかのように豆を嬉々として啄ばみ珈琲をチビリチビリと啜って、先に書いた少女が降ってくるお話の核心である権次まるで関係ないといった話をしておったのだが、その実、彼は僕の斜め後ろのボックス席に座る女性の太腿に気を取られており人の話など聞いてない失敬な奴であった。言ってみれば地蔵かなにかに話しかける奇特なおっさんといった図式の僕であったのだが、生来人を信じて疑わない清い心の持ち主であったので、彼のヤニ下がった下心などに気付くはずもなくただひたすらに豆をぽりぽりと齧って何かを喋り続けた。カップの中身が空になったところでまだ晩飯を食うには腹の空き具合が足りず、というのも居残って卑しく食べ続けたうどんの仕業なのだけれども、はてさてこんな田舎町では時間潰しの娯楽といえばカラオケか十柱戯か性交ぐらいしか思い浮かばず三番目のは壱百萬円積まれても御免こうむる話であるので、取りあえず十柱戯でもしてみようかねと提案したところヤニ下がった面のまま同意してきたので、再び故障したマイカーの代わりに貸与されている軽自動車に乗り込み十柱戯場へと向かった。
十柱戯場に着いて遊戯の申し込みを済ませ貸し靴のサイズを選ぶ段になりいつもの頭痛の種が発芽した。僕は普段25cmの靴を履いたり脱いだり脱いだ靴の臭いを嗅いで意識を遠退かせたりしているのだけれども、こと十柱戯の貸し靴となると25cmでは小さく25.5cmでは大きく、おそらく25.2cmか25.3cmあたりが妥当なサイズのはずだがそういった中途ハンパな数字で拵えた靴はなく、ともかく貸し靴は帯に短し襷に長いが「大きいことはいいことだ」とメリケン風情の台詞でもって25.5cmを借りてしまうのだけど、実のところ25cmがジャストフィットしているのではないかと思ったりしながら25.5cmの貸し靴の釦を押すのであった。履いてみるとやはり爪先に余裕がありすぎるのだが、先ほどのコメダ珈琲店で聞いた限りではスコアは断然僕の方に分がありそうであったのでこれもハンディキャップだと恩を売ったつもりでプレイを開始したし一切斧寺君にはその件は告げなかった。そういったものは負けが決まってから言うものだと相場が決まっているからである。
果たして第一ゲームは僕がいきなり2連続でストライクを叩き出して斧寺君の度肝を抜いたのだが、僕はそういう星の下に生まれたことを自覚しているので別段なんとも思わないのだ。続く第3フレームからはスペアも取れない体たらくで斧寺君と低レベルな醜い争いを繰り広げたが最初のダブルが功を奏して僕が第一ゲームを先取した。先取といっても何ゲームするのか決めてなかったのでそこで終了して勝ち逃げの手もあったのだが、そんなことをして器量の小さい男だと末代までぐじぐじ言われたのでは割りに合わないので挽回のチャンスを斧寺君にも与えることにして当たり前のように第2ゲームに突入した。第2ゲームではようやくエンジンのかかってきた斧寺君にコントロールの定まらない僕が一方的に離される展開で、途中で煙草を吸ったりうろうろしたりして球を一度に2つか3つ投げたい欲求を抑えることに努めた。十柱戯という競技は不思議なもので、ストライクを出したときと同じようなところから助走をして同じようなところに狙いを定めて同じような力加減で同じようにリリースをしているにも関らず手元を離れた球はあっちの比律賓女性こっちの泰王国女性を口説く斧寺君のように落ち着きのない球筋となるのである。これは孔球という競技も同じで、どうも自分ではない誰かの力が作用している、即ち座敷童子の仕業ではないかと密かに思っている。
敢え無く第2ゲーム目は大差をつけられて大敗してしまった。ハイスコアも総合計得点でも負けていたものの、認めたくはないが肉体の衰えを感じる今日この頃であるので第3ゲームで挽回を誓ったところで傷口を広げるだけやもしれぬと試合続行について二の足を踏んでいたところ気を良くした斧寺君から「もう1ゲームやれば?負けたままでいいの?」と心底なめきった提言があったので、生きて陵辱を受けるぐらいなら死んだほうがマシだ!と腕が千切れる悲壮な覚悟でそれを快諾し第3ゲームに突入した。かつて桑田真澄という投手が打者への投球の直前にグラブの中の白球に向かいなにやら呪文を唱えて打ち取っていたという逸話をふと思い出し、僕も投球の直前に「全部倒れろ!全部倒れろ!」と球に言い聞かせて鬼気迫る気合でもって投球するも糊で固定してあるかの如くピンは残り、祈るような気持ちでスペアを拾ったりなんかしてひいひい言いながら着実にスコアを伸ばしていった。一方の斧寺君は厭味たらしく余裕綽々でカーブかなんかの練習のつもりかひょうろく球を投げ続けてスコアはガタガタであった。有り体に言えばガーターガーターであった。
第3ゲームを終えた時点で僕の方が総得点で上回っておったのだが、ハイスコアは斧寺君が保持しており、腹も減ってきたし腕も疲れたおっさん同士が醜い消耗戦を繰り広げても誰も褒めてくれないのでやめにしようと相成って十柱戯場を後にした。その結果を以って「試合に負けて勝負に勝った」などとのたまう斧寺君はなかなかの男だと思うが、あんまり言うとこれ幸いに比律賓国か泰王国あたりへ嬉々として国外逃亡してしまうやもしれぬので、ここはひとつ武士の情けで腹の中に留めておこうと思う僕の方がなかなかの男だと思うのであった。
つづく(たぶん)(わかんないけど)